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父の入院と帰国 [家族]


「父が熱を出して入院した」と弟からメールが入った。「だから、帰って来い」という趣旨は無く、単に「そういうことになっている」という言う連絡のメ-ル。去年に続き2度目の入院だ。メールを読んだとき、「また弟に負担をかけて申し訳ないな」という気持ちを強く持ったが、「すぐに帰ろう」ということは頭に浮かばなかった。だが、2時間ほどして、「帰った方がええんとちゃう?」という感情が湧いてきた。幸い?8月15日は韓国の祝日(光復節、日本の植民地支配から解放された日)で、3連休だ。問い合わせると、翌日の飛行機のチケットが取れた。1日有給休暇をくっつけて、3泊4日で急遽帰国を決める。日本での足として、レンタカ-を予約しようとしたが、お盆のことで、どこも空きが無い。あったとしても、ベンツとか2トントラックである。ちょっと不便だが、ようやく隣の市のレンタカ-屋で空きが見つかり、さっそく予約する。

関空から空港バスで三宮に出て、JRで加古川に向かう。「駅から徒歩10分」とあったレンタカ-屋。わずか10分、されど10分である。カナダで雪にあいフリ-スを着る生活を2週間した後。毎日雨続きで夏の来ないソウルで2週間、まったく暑さや太陽の免疫ができていない身には、日本の真夏の太陽光線がとても厳しい。青息吐息で、レンタカ-屋にたどり着く。実家に着いたのは午後2時半、家の玄関には、来客と思われる人たちの靴があった。弟から、「ケアマネ-ジャ-やヘルパ-の人たちとの話し合いがある」と聞いていた。来客は、ケアマネ-ジャ-やデイケアセンタ-の人、ヘルパ-の人など4人だった。今日にいたる実情をほとんど知らず、日本の介護制度にもまったく無知で、しかも話の途中にやってきた私は、何かを言える立場にないので、基本的に弟に対応を任せ話を聞いていた。今後どのようにしていくのかの提案があった。それらは、すべて理にかなったもので、とてもありがたい提案だった。私が驚いたのは、来てくださった人たちすべてが、みんなやさしく穏やかで、介護対象者の父だけでなく、その世話をしてきた母の身を案じてくれていたことだ。何も知らないのに、日本の介護制度をややななめ上から見ていた私はとても恥ずかしく思った。

話し合いが終わり、弟が帰ってから、父のいる病院へ向かった。ベッドに横たわる父。痩せた手。身体に繋がれた管。その父が、私をじっと見る。父と正面から目を合わせることなどそれまでほとんどなかった。私から視線をまったく動かさない父。私もじっと父の目を見る。そしてその父の目が、穏やかでやさしく、そして清らかである(ように見えた)ことにとても動揺した。父が視線を外さないのは、そうする意志があってか、それとも身体を動かすことがあまりできないためか...私は、言葉を失った。父は本が好きで、いつも本を読んでいた。何でも知っていた。山が好きで、よくハイキングやスキ-に連れて行ってくれた。私が中学に入った年、乗鞍岳と上高地に連れて行ってくれたことは今でも忘れない。考えれば、私が読書を好み、山を歩くのが好きなのは、まったく父と同じである。影響を受けたという意識はないが、そういう素養を植えてくれたのは、間違いなく父である。お酒を飲んだとき意外はあまりしゃべらないので、父と深い会話をした記憶はほとんど無い。背中を見て育った。

前回の入院のとき、プリンやコ-ヒ-ゼリ-を喜んで食べたので、プリンを1つ買って持っていった。前回は、しっかり自分で食べたのに、今は自分でスプーンを動かすことができない。生まれて初めて父の口に食べ物を運ぶ。父が私の手から、プリンを食べる...視線に動揺したように、この状態にもひどく戸惑いを覚えた。帰るというと、「ありがとう」と言い、軽く手を上げて見せた。そんな病院訪問を3日繰り返した。残念ながら、病状から推察して、父の状態がよくなり、また自分で自分のことができるようになる可能性はあまり高くない。母は、病院から帰ってきたときのことを言うが、弟と私は、父が退院できたとしても、完全看護体制にある施設に入ってもらうのが一番だと考えている。母は父を看護できるような状態ではない。母自身が看護を必要とするレベルに近づいている。

「海外在住」、それが言い訳になるとは思わないが、両親のことはその近くに住む弟が主に見てくれている。私は年に何回か帰ったとき、最低限のことをするだけだ。今回、父の顔を見て、少ない言葉を交わしたが、これがいつまでも続くとは思えない。日本人の平均寿命は「人間50年」と言われたときから、30年ほども延びている。寿命が延びることによってできることがたくさん増えたが、一方、寿命を延ばすための辛さ、寿命が延びたための辛さも増しているように思える。ベッドの上で動かない身体をもてあましながら、86歳の父は何を考えているのだろう。

病院からの帰り、お墓参りに行った。お盆である。雑草を抜き、水をかけ、花と線香を供える。線香になかなか火がつかず苦労した。私は仏教徒ではない。というより仏教の教えをほとんど知らない。お布施の金額により戒名が異なることなどに象徴されるお寺(葬式産業)には大きな懐疑心を持っている。両親は元気な頃、般若心経を唱えたりしていたので、その葬儀は仏式ですることになるだろう。そして骨はこのお墓に入ることになるだろう。私の意志より両親の考えが優先されるべきことだ。でも、自分の葬儀は、宗教色の無い家族だけの非常に簡単なものにして欲しいと妻に頼んでいる。骨は墓には入れず、すべて散骨してもらいたいと...今、葬儀の事など考えるべきでないとは思うが、いずれは通らなければならない道なのだ。

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