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父との別れ [家族]


Day1
9月15日夜、9:30、「10分前に...」、 訃報が入る。
前夜の知らせには、急を要する様子はなかったのに。
窓から外を見る。
いつものように車のヘッドライトが列を作っている.
外を見ながらスコッチを飲んだ。
飲みなかったわけではない、そうするしかないような気がした。

Day2
朝、会社へ行き、チケットを依頼し、急ぎの仕事を片付ける。
午後、飛行機に乗り、父の元へ帰る。
穏やかな顔だった。「苦しまなかったようだ」弟が言う。
最後の時間をいっしょに過ごせなかったけど、1ヶ月前に病院のベッドの上で父の口にプリンを運んだときから、その覚悟は出来ていた。

Day3
朝、葬儀社の人が来て、その後の段取りを説明してくれる。
詳細はすでに弟が決めてくれていた。
父が無言で家を出る。
寝台車がクラクションを鳴らす。
葬儀会場に入る。
家族控え室。
父の身体をきれいにしてくれる儀式。
気持ち良さそうだ。
親戚が集まってくれる。
長い間顔を合わせなかった人たちも多い。
坊さんがきてお経を読む
理解できない言葉、その厳かさが、別れを揺るぎないものにする。
親戚が帰り、控え室に母と、弟と弟の家族、私と妻と娘。
やがて弟の子供たちも帰る。
食べて、飲んで、話す。
これが通夜というものか。

Day4
近くの学校から運動会らしい音楽が聞こえる。
前日は雨で警報さえ出ていたのに。
葬儀の前、父に話しかけてみる。
「これでよかったんやね。したいことはしたね。あとは向うでのんびりしてな」。
親戚が集まり、葬儀が始まる。
挨拶で父と歩いた山のことを話す。
言葉が詰まる。
棺に花を入れる。
たくさん入れる。
母が泣く。
伯母が母を抱きしめる。
出棺。
父が煙となって昇っていく。
骨を拾う。
「ちょっと小さくして入れてください」、骨に圧力を加えると、簡単に崩れた。
父がかつて住んでいた肉体はカルシウムの破片となり、壷に収まる。
カルシウムの入った壷、聞きなれない名前の書かれた白い木片、笑っている写真。
それだけになって父は戻る。
初七日の法要。
小さな祭壇に父の分身が並べられる。
「これでよかったんやね。したいことはしたよね。あとは向うでのんびりしてな」、もう一度言う。
たくさんのことを親戚の人に助けてもらった。それらが心底ありがたく、普段の不義理が恥ずかしい。

Day5
父のいない朝がまた始まる。
「49日の法要に出すお菓子を考えなくては」、母が言う。
何のことだ。
どうでもいい。
ほんとうにどうでもいい。
しなくてはならないだろう手続きが山のようにある。
それらもどうでもいい。
ほんとうにどうでもいい。
でも、それらのことを考えている方が楽だから考えよう。
祭壇に置ききれなかった花を墓に持っていく。
もうすぐ彼岸だ。
墓の掃除もしておこう。
草を抜き、水をかけ、線香を供える。
この墓はどうなるのだろう。
ほんとうに父の壷をこの墓に入れてよいのだろうか。
この墓をどのように守っていけばいいのだろう。
私はここに入るつもりはない。
そして1日が終わる。
お酒を飲みすぎている。

Day6
朝から諸手続きのためあちらこちらに電話をかける。
今日1日、できるだけのことをしておこう。
「49日の日程を早くお寺と決めて欲しい」、母が10分おきに言う。
「そんなに言うなら、自分で電話すれば?」、声が尖る。
言わなくても良いセリフが出てしまう。
市役所に電話すると、「部署が違うから」と4つの部署に電話を回される。
笑った。
市役所で戸籍謄本を取ると、「まだ記載ができていませんから3日後にきてください」という。
死亡届は、前の週に出されていたのに、役所には、オンラインとか、リアルタイムとかいうコンセプトはないらしい。
後日また弟に来てもらわなければならない。
入院費用を病院の窓口で支払い、葬儀社に行って葬儀費用の清算をする。
自分がしたこと、これから弟がしなければならないことをノ-トに書く。
夕方、小さな母を残して、家を出る。
台風15号の影響で道が混んでいる。
高速道路が通行止めになり、迂回路の国道2号線も通れない。
ずっと遠回りをして、20kmを4時間と少しかけて、妻の実家に向かう。
乗っていたレンタカ-はその日返す予定だったが、営業時間内に間に合わなかった。
これくらいの罰は、これが罰なら、受け方がいい。

Day7
台風に備え雨戸が閉めてあったらしく、朝、目が覚めると暗かったが、時計を見るともう9時を回っていた。
三宮で買い物する気にもならず、すっと関空へ行く。
使用機の延着で、30分ほど出発が遅れる。
空港の売場には、法要に使えそうな菓子がたくさん並んでいる。
私はソウルに飛んで、まったく違う世界に逃げ込んだが、母と弟は現実と向かい合う。
「お父さん、これでよかったんやね。したいことはしたよね。あとは向うでのんびりしてな」、もう一度言う。
「お父さん、49日の法要なんてして欲しいの?お経、わかってんの?それがないと向うへ行かれへんの?お母さん大分まいってるで。お菓子なんてどうでもええんやろ?」。
「ほんまは、そんなもん、何もいらん。でも、そうした方がお前らが楽やろ?適当にやっといて」
父はすでにのんびりしているようだ。

Day8
「お疲れが出ませんように」、葬儀の後、親戚のいとこたちが声をかけてくれていた。
その疲れが出た。
気力が湧かない。
会社を休んだ。
休むなら、もう1日、日本に居ればよかった。
日本に居たら、気力が尽きて倒れたかもしれない。
でも母と弟は日本にいる。

Day9
会社に出た。
たくさんの悔やみの言葉をもらう。
香典ももらう。
机に向かうが簡単な作業以外する気になれない。

Day10
秋の気配の南漢山城を歩く。
風が涼しく、気持ちいい。
山が好きだった父と歩いているようだ。
何をしていても、ふと、父のことが思われる。


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