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Dubaiの世界一 [旅行]

中東での緊張が高まる中、去年3月に続き、2度目のDubaiへの出張に出かけた。今のところDubaiはこの政治的緊張の蚊帳の外のようだ。2008年の経済危機以降、かなり落ち込んだと聞いたDubaiの経済だが、旅行者の目には、新しいビルが建ちつつ発展の一路をたどっているように見える。出張の目的の社内のワ-クショップは、何人かの移動はあったものの、ほぼ同じメンバ-でこれで3度目だ。顔なじみで緊張しないことが、よいことなのか悪いことなのか...

ワ-クショップの案内通知にVisaの申請書が添付されており、それを至急ホテルに出すように言われた。日本のパスポ-ト所持者は短期滞在の場合、DubaiのVisaは要らないはず。ネットでも確認し、その旨、ホテルに返信する。しかしホテルからは、「必要なので申請書を出せ、さもなくばホテルの責任になる」という返事があった。押し問答が何回か続いたが、現地のホテルがそこまで言うのなら、最近、法律が変わったのかも知れないし、ひょっとして空港で入国拒否でもされたら困るので、最終的に申請書を送った。ちなみに、このVisaの代行費は13,000円ほどするという。出発の2日前になって、「やはり、あなたの場合、Visa必要ない」とjホテルから連絡があった... もう、返す言葉が無い。ばからしくて、「まさか、Visaの代行費を請求したりしませんよね」くらいの皮肉しか言えなかった。、

ワークショップ1日目の予定が終わった6時過ぎ、希望者で世界一高いビル(Burj Khalifa)に行くことになった。世界一のビルの前には、世界一の規模の噴水があるという。「一番じゃないとだめなんですか?」、どこかの大臣のコメントが思い出される。世界一高いということだったが、展望台があるのは、120階あたり、ビル全体の6合目あたりである。もちろんそれでも高い。入場券は、3日先まで売り切れという繁盛ぶりだ。ハイ・スピ-ドのエレベ-タ-は、うちのアパ-トのエレベ-タ-が20階に着くくらいの時間で私たちを120階まで運ぶ。風防ガラスつきのテラスからは、一面の夜景が広がっていた。その夜景が、Dubaiの発展を物語り、そこに注ぎ込まれたマネ-の大きさを表している。お金さえ出せば、このようなハ-ド面の充実は基本的にどこでも図ることが出来るだろうが、ソフト面はそうはいかない。展望台のみやげ物売り場には、買いたくなるようなものは何も無く、販売員も手持ち無沙汰をかこっていた。そして、下りのエレベ-タ-には、長蛇の列...ビルから出ると、そこには人工の池があり、そこで世界一の規模の噴水ショ-が繰り広げられる。5分ほど待つと、音楽が鳴り始め、そして噴水が水を上げ始めた。照明の効果もあって、確かに世界一かと思わせる。美しい。だが、何故か私は空しさを感じずにはいられなかった。他国の繁栄を羨むのではない。ただ、想像を絶する富を「こんなもの(ビルや噴水)」に注ぎ込むことが、なぜが空しいのだ。もっと他に、「生きた」使い方ができるのではないか、そう思わずにはいられなかった。どこに行ってもお金の臭いしかしないような気がした。

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2日目の4時過ぎから、ワ-クショップの一環として、砂漠ツア-が企画されていた。4台のTOYOTAランドクル-ザ-に分乗して、砂漠に向かう。ホテルから、約70kmらしい。20分ほど走ると、高いビルの群れが遠ざかり、整備された道沿いは荒地になり、やがて砂漠になる。道沿いには散水車が来るということで、緑が植えられている。砂が道路に入ってくるのを防ぐためだ。やがて本格的砂漠の入り口?に到着した。運転手は4輪ともタイヤの空気圧を約半分に減らす。そうしないと砂漠でのグリップが得られず、運転に支障をきたすのだそうだ。砂漠といえば鳥取の砂丘しか知らない私(砂丘を砂漠と言えるのか?)。すべるように、ドリフト走行をする運転手。楽しい。いいおっさんが、「きゃあきゃあ」言ってしまう。どこまでも続く砂の荒野、沈む太陽、一陣の風...誰もがアラビアのロレンスになれる(気持ちだけ)。やがて車は、ツア-会社のキャンプに着く。アラビア・スタイル?のダンスが披露され、ブッフェの食事が始まる。ベリ-ダンスを踊ったのはロシアのダンサ-だったらしい。Dubai、砂漠ということであまり、勝手に「暑い」と思っていたのだが、気温は15度を切り、夜の砂漠の空気は冷たかった。シャツの上にラガ-シャツを着て、さらに薄手のセ-タ-、私の持つ衣類のすべてを動員したが、それでもとても涼しかった。

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3日目の朝、ホテルをチェックアウトする。これは、コントか?と笑えてしまうが、清算書にはきっちり「Visa代行費」が請求されていた。大人の私は、感情を揺らすことなく、静かに間違いを指摘し執行されていないVisa代行費を取り消してもらった。

3日目夕方、すべての課題を終了し、ワークショップが終わった。すっかり仲良しになった、現在イランに派遣されているフィリピン人のWといっしょに空港に行く。同じタ-ミナルだが、チェックイン・カウンタ-が別々だったので、「じゃあ、イミグレ-ションで会おう」と別れた。私はEmiratesのビジネス、彼はEmiratesのメンバ-カ-ドを持っていたので、いっしょにEmiratesのラウンジでくつろごう(私の飛行機は午後11時、彼のは午前3時出発日)という目論見であった。しかし...目論見はその通りに行くとは限らない。Emiratesのカウンタ-に行った私は、そこで予想外のことを告げられる。「これは、Emiratesのチケットですが、ここではBoarding Passが出せません。ほら、大韓航空との共同運航便て書いてあるでしょう。大観航空のカウンタ-に行ってください」。「でもこれ、EKxxxx便でしょ。ここでチェックインできないんですか?友達が待ってるんですが」、「できません!ここに共同運航便て書いてあるでしょ! ついでに言うと、大韓航空のカウンタ-はタ-ミナル1ですよ。ここはタ-ミナル3ですから、シャトルバスに乗って行ってください」...理屈はわかった。共同運航便の主導会社である大韓航空のカウンタ-でチェックインしろ、Emiratesの便名は冠していてもオペレ-ションに一切関知しないということだろう。しかし、それならそれでもう少し言い様があると思う。「おそれいりますが」とか「申し訳ございませんが」など、客の不便を理解する心遣いがあってもいいのではないか。ま、それが文化の違いということなのだろう。しかし、Wとすぐ会う約束をしていたのが気になった。Wが行ったカウンタ-に行って見たが、すでに彼の姿はなかった。仕方なく、そのシャトルバスを探す。もちろん、何の案内も無い。「案内所」で聞いたら、4番出口から出たところにサインボ-ドがあるという。行った。無かった。だいたい4番出口のあたりにはほとんど人がいなかった。タクシ-の運転手を捕まえて、シャトルバスの乗り場を聞くと、道を隔てた向こう側に、マイクロバスが止まっているのを指さし、あれがそうだと言う。そのマイクロバスの周りを見たが、サインボードなどどこにもない。ただ、そのバスの窓にT1⇒T3と書いた紙が張ってあった。タ-ミナル1からタ-ミナル3へという意味だろう。運転手に聞くとそうだという。そしてタ-ミナル1に行って驚いた。Emirates専用のタ-ミナル3とは雲泥の差、月とスッポンである。どこかの冴えない国の地方空港かと思われるほど、みずぼらしいタ-ミナルだった。そして表示もいたっていい加減...大韓航空のカウンタ-にたどり着くまでにすっかり汗をかいてしまった。結局、Wとは会えなかった。

悪口を言うわけではないが(こういう言い方の後には必ず悪口が続く)、今回のDubai訪問、到着前のVisaの確認、到着時の超非効率的なイミグレ-ションに始まり、出発時のチェックイン・プロセスにいたるまで、お金では買えないソフトの面の改善が求められるシ-ンがとても多かったような気がする。かくして、Dubaiは私の「行きたい国ランキング」のかなり下位にランクされることになった。

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旧正月の正しい過ごし方 由布院・博多編 [旅行]

韓国の一大行事と言えば、旧正月。人々は故郷へ帰り、親戚家族が集まり、先祖に祈りを捧げ、親族の長老に礼を尽くす...時代と共にその姿は変化し、程度も緩くなってきているとは言え、その伝統は確かに根付いている。今年の正月は2月2日~5日(水~金)、週末とあわせれば5連休、黄金の組み合わせである。いつもはこの手の休みに圧倒的に出遅れるのだが、今回はめずらしく11月くらいから考えていた。「タイに行こう」、寒いときは暖かいところに限る。しかし、旅行社に電話するとタイ行きの航空券には、長~いWaiting Listが出来ていて、実質上、購入不可能だと太鼓判を押されてしまった。それでは、九州はどうか(そのころ、冬、九州が寒いとは思っていなかった)。旅行社の返事は、あまり芳しくなかった、「タイほど不可能ではないが、期待しないほうがいい」。何じゃ、そりゃ?旧正月、韓国から出られないのか?「いや、一つ方法があります」、「え、何?教えて!」。このあたり、すっかり旅行社の術中に嵌っていたようだ。「ダンナ、世の中、何ちゅうてもジェニでっせ。ジェニに物を言わせたらええのとちゃいますか?」、「ええのとちゃいますかって、航空券がないんでしょ。まさかプサンまで行って船に乗るとか?」、「アホ言いなはれ。プサンまでの電車もバスも飛行機もみんなSold Outでんがな」。「ほんなら一体どんな手が?」、「ふふふ、わかりまへんか、ビジネス・クラスなら空いてまっせ、ジェニ出しなはれ」...聞けば、ビジネス・クラスは一人当たり200,000ウォン(15,000円)ほどの追加になるという。「2人で30,000円の追加で九州の温泉かぁ、微妙なとこやなあ」。そこで悪魔がささやく、「今の九州は、オフ・シ-ズン、しかも水曜からなら結構お安い。航空券が高い分、宿代が安い...」。

3年前の3月、大分県の湯布院で3泊した。とてもよかった。あそこへまた行きたい...そして、前回と同じメンバ-、妻と娘と私は、2011年2月2日午後3時前、JR由布院の駅に降り立った。娘はまたしても京都からの参加である。コンセプトは「何もしないで、食べては寝、寝ては温泉に入る、理想的ぐうたら生活」...のはずだったの。しかし、娘はそのコンセプトを根底から覆すとんでもないものを持ち込んできた。その所為で、「食べて、温泉に入る」はコンセプト通り実施されたが、「寝て」と「何もしない」のところが大きく変更されてしまった。娘と社会福祉を論じ、PCの画面をにらむことになってしまったのだ(論文のお手伝い)。まあ、いい。今回も前回同様、同じ宿に3連泊、遅い朝御飯と早い晩御飯の1日2食、ゆっくりとさせてもらった。この宿の御飯はほんとうに素晴らしい。メニュ-はたぶん普通だと思うが、離れの部屋の掘りごたつ式のテ-ブル、料理の出し方、タイミング、細かな心遣い、客に対する接し方など、別に破格の値段設定をしている旅館ではないのに、とても気持ちがいい。前回も今回も、大満足である。娘など、係りの人の名札を観察して、「XXさんは、とてもいい」、「YYさんも、素敵だ」などと言っている。3日とも2時間以上かけて夕食を楽しんだし、朝食にも1時間近くかけた。この時間の長さが、料理を待つのではない限り、満足度のバロメ-タ-になる。ゆで卵とビ-ルが24時間、食べ放題飲み放題というのもうれしい。実際、ゆで卵は1個しか食べなかったし(基本的にあまり好きではない)、ビ-ルも初日は調子に乗って飲んだが、それ以降は控えた。でも、気は心なのである。夕食から部屋に戻ると、布団が引いてあるのは当然だが、夜食のおにぎりが用意されていて、2月3日には、それが恵方巻きになっていたのも心憎い。

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旅行に出て楽しいのは、朝の散歩である。まだ街が起き出す前、昼の顔になる前に、街の素顔が拝見できる。人通りのない早朝の温泉街は興味深い。1泊した次の朝、「朝もやの金鱗湖」なるものを見るために7時前に部屋を出る。宿から15分ほどでその、「金鱗湖」に出た。気温はたぶん氷点下で、水温との差で、水面から水蒸気が上がっている。その水蒸気が湖面に留まって、早朝の「金鱗湖」はすっかり霧に包まれ、水墨画のような雰囲気を醸し出す。大きなカメラを持った人もシャッタ-チャンスを狙っている。さらに歩いていくと、田や畑、川沿いの木などが霜で真っ白だ。木など、遠くから見ると、その白さから、まるで桜が咲いているようにさえ見える。散歩から帰って、冷えた身体を温泉に浸すのも大きな楽しみだ。

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韓国人は旧正月、親戚家族が集まり...と書いたが、湯布院に行って驚いた。湯布院がソウルになっていた。街が韓国人旅行客であふれかえっていたのである。私たちが乗った博多からの特急は韓国人だらけ。ツア-のバスも韓国語表示。街を歩く人も、写真を撮っている人も、感覚的には8割ほどが韓国人だったような気がする。日本人がそうであったように、韓国人も、お正月には「親戚で集まる」から「海外旅行に出る」に変わってきているようだ。インチョン空港の混み方は異常だったし、免税店は文字通り、芋の子を洗うような状態だった。にもかかわらず、湯布院の街はほとんど日本語表示のみである。日本に旅行に行って、外国語表示で埋め尽くされた街を見るのは興ざめだとは思うが、今後の観光業界の振興を考えれば、もう少し、努力があってもいいような気もする。

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今はオフだし電車なんて、いつでも乗れると思っていたら大きな間違いだった。湯布院を出る前日、JRの駅で指定をとろうとしたら満席。しかも、一番時間的にぴったり合う「由布の森」号は全車両指定である。立って乗ることさえ許されない。「どうしよう?」、オプションはそんなにない。
1. 自由席のある特急に立って乗る
2. 遠回りで大分経由の特急に乗る(席があるかどうかは保障なし)
3. 大盤振る舞い、博多までタクシ-で行く
4. 韓国人がみんないなくなるまで、あと3日ほど滞在を伸ばす
などが考えられたが、どれも実用性がなさそうだ。そして、ハタと思いついた。そうだ「バス」はどうかな?早速駅前のバスセンタ-でチェックすると、奇跡的に博多行き特急バスに空席があった。しかも驕り上がったJRよりもかなり安い。「ふん、JRめ、殿様商売してんじゃないぞ。往復で買った自由席の切符なんて、ほら、キャンセルしてやる!」。 2時間あまりのバスの旅がそんなに快適なわけでもなかった(特に博多市内に入ってからの渋滞がひどかった)が、なんとか博多まで帰り着くことができた。

博多ラ-メンを食べて、京都へ帰る娘を見送った。私たちは、博多でもう1日。この旅行中、20年来はいていたジ-ンズについに破れ目が出来た。始め2cmほどだったそれは、見る見る間に8cmほどになった。右ひざの上でジ-ンズが口を開けて笑っている。古い奴だとお思いでしょうが、「破れているのがファッション」という当今の価値観には全面的に賛同できない私である。破れたら、継ぎはぎにするか、それはそれでいいと思うけれど、何せ20年以上はいているジ-ンズは周囲の生地もかなり傷んだり薄くなったりしている。「よし、博多で買おう。そしてまた20年はこう」、ということになったが、今度はジ-ンズ屋が見つからない。通常ブランドにはほとんど拘らない私だが、ポッと出の薄っぺらなジ-ンズははきたくない。ジ-ンズと言えば「リ-バイス」。2つのデパ-トのインフォメ-ションで聞いたが、どちらも「リ-バイス」を扱う店がないという。そう言えば、ジ-ンズをデパ-ドで買おうとするのもおかしな話だ。しかし、デパ-トでなければどこなのか?探したが見つからなかった。あきらめた(後日、ソウルのロッテ・デパ-トでリーバイス・ショップにめぐり合った)。暗くなってきた。「万寿で娘を嫁に出した北九州出身のTさん」が、「博多へ行ったら屋台へ行け」と言っていたのを思い出し、観光案内所で屋台が出ていそうな場所を聞いた。「中洲」、それは、そのときうろついていた天神と、ホテルのある祇園のほとんど中間点にあり、歩いていけた。川に沿って、10軒ほどの屋台が出ている。どこも、「ラ-メン、焼き鳥、餃子」の看板を上げている。比較的込んでいた店に入ったが...見る目がなかった。出てきた餃子は、私が焼いてもこんなグチャグチャにはできないというほど、水分が残っていた。おでんは鍋に山盛りで、上の方は出汁に触れてさえいなかった。「下の方のを入れてな」と言って、なんとか味がついたのを取ってもらったが、見ていると、水道の水をそのまま鍋に継ぎ足すという大胆な技を使っていた。食欲を失い、ビ-ル2本でそこを出る。料金も張ってあった価格表より高い気がした。たまたま入った屋台が悪かったのだとは思うが、「博多の屋台」、もう行かない。いかに観光客相手とは言え、客をなめすぎている。後でTさんに苦情を言うと、それは「私がTさんの指定した屋台に行かなかったのがいけない」とのことだった。何軒あるか知らないが、その中で1軒しかいい屋台はないと言うのか...やはり、博多の屋台にはもう行かない方がよさそうだ。

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屋台の件でTさんのアドバイスがあまり当てにならないことが判明したが、翌日、行くところがないので、Tさん指定の大宰府に出向いた。2月6日、梅にはまだ早かったが、大宰府天満宮は大入りだった。たくさんあるほとんどの店で「梅が枝餅」を売っていた。しかも特定の店にのみ行列が出来ていた。口コミか何かで、そこの梅が枝餅がおいしいということになっているのだろう。もちろん、並ぶのが苦手な私は、境内の空いた茶店で、梅が枝餅なるものを食べた。大きな立派な神社だった。菅原道真がなぜああまでも恐れられたのかは知らないが、暮れに京都の北の天満宮に行き、1ヶ月ちょっとあとに大宰府の天満宮に行くというのも何か縁があるのかもしれない。時間があったので、屋台ではずれ、大宰府で当たりを出したTさんのもう1つの助言、「九州博物館に行って、倭国の金印を見よ」に従った、天満宮に隣接する九州博物館、どこからこれだけの人が湧いて出たかを思うほどの混雑だった。「1時間30分待ち」の札が出ていた。しかし、よく見ると混んでいたのは特別展、「ゴッホ展」だった。九州の人はそれほどゴッホが好きなのか? 常設の博物館にはすんなり入いれた。ボランティアの人のガイドをお願いして、見所をしっかり抑える。邪馬台国がどこにあったか、今でも諸説飛び交っている。九州博物館にはその時代の貴重な展示物があり、Tさんがこれらを観賞する力を持っているとは思えないほどよかった。ただし、「金印」はレプリカだ。


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旧正月、4泊5日の湯布院・博多旅行。贅沢な時間を過ごさせてもらった。

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2010年夏の信州 (4/4) 白馬+ [旅行]

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岩崎ちひろ美術館で、「ス-ホの白い馬」に出会ったのは、「白馬」への旅行へと続く面白いプロムナ-ドだ(または、単なる語呂合わせ)。信濃大町から1時間ほどで、白馬に着く。駅で帰りの切符を買ったのだが、ちょっと手こずった。娘が間違った切符を買っていたのでそれをキャンセルして、同じ特急で名古屋まで帰れるようにするのに10分ほどかかった。駅の窓口の人はあきらかに苛ついていて、「なんでそんなややこしい切符?その変更分はカ-ドでは払えませんからね...(じゃまくさいなあ)」と不満顔を隠さなかった。キャンセルして新しい切符を出すのが、なぜそんな複雑なのかよくわからない。娘は、「こんなん、有り得へん。前、京都でもっとややこしい切符(友達3人分を違うパタ-ンで買った)を買ったとき、窓口の人はあっという間に笑顔でやってくれた」と言う。なぜ、娘がいつもややこしい切符を買っているのかも謎である。

タクシ-で「白馬T急ホテル」へ向かう。予想外に大きなホテルだった。「T急ホテル」と「T急イン」はかなり違うのである。チェックインのとき、夕食は17:30または19:45のどちらがいいか聞かれた(聞かれたが、19:45しか空いてないのだという...なら聞くな)。上高地のホテルでも同じように「夕食は2部制」だった。違うのは、1部と2部の間の時間だ。上高地では確か1時間半、そしてこのT急では2時間15分。これは、期待される夕食を食べるスピ-ドが違うと言うことか、料理の品数の差だろうか。それとも飲み物を売る意気込みの違いだろうか。いずれにせよ、T急はゆっくり出来そうだ。1部の人が早い夕食を取っている間に、お風呂に入る。大きくはないが、半露天風呂のついた柔らかいお湯のいい風呂だった。このT急ホテル、朝食のみという選択がなかったので、朝夕はホテル内で食べることになる。うちの家族の食べるスピ-ドが遅かったのか、デザ-トが出る頃、レストランから他のお客さんの姿が消えていた。「デザ-トは気分を変えてバ-の方でお出ししましょうか?」、レストランの人も早く片付けて帰りたいのだと思う。

翌日、曇り空の中、八方尾根のロ-プウェイ乗り場に向かう。記憶は定かではないが、高校の修学旅行の時、やはりこのロ-プウェイやリフトを乗り継いで、八方池まで行ったように思う。あのころの友人たちの顔が浮かぶ。二本のリフトに乗った後、ようやく尾根への取っ掛かりの道に出る。たぶん学校の体操服だろう、お揃いの服を着た大勢の中学生たちがいた。彼らの写真を撮ろうとすると、娘が「問題になるかも知れないから止めておけ」と言う。そんなものなのか。尾根の登山道には、蟻の道のように人が列を成している。上高地のように自由には歩かせてもらえそうにない。高山植物の写真を撮ったり、山の姿を見たり、ゆっくりと足を運ぶ。自分の感覚では、あっという間に八方池に着いてしまった。さっそくNカフェタイム。池の向こうとこちらで、別の中学校の生徒たちが大きな声で掛け合いをやっている。「どこから来たんですか~?」、「XXXで~す」、「彼女はいますか~?」、「おかげさまで~」、「おめでとう~」...若いということはいいことだ(たぶん、そうだ)。やがて体操着姿の生徒たちはさらに上へと登って行った。あとで、付き添いの先生らしき人に聞くと、2600mの唐松岳の小屋まで行くのだという。道理で、生徒たちはみんな大きなリュックを背負っていた。私たちは、唐松岳まで行く予定はなかった(1日歩いて標高差500m以上登らないという家訓に反してしまう)が、八方池どまりでは物足りなかったので、もう少し行ってみることにした。30分ほど歩くと、ガスが上ってきて、視界が前より悪くなってきた。適当なところで折り返し、下り始める。すると。またどこかの中学生がやってきた。道は細く行き過ぎることができないので、余裕のあるところで止まり、その一団が行き過ぎるのを待った。先生から山のル-ルを教えられたのか、生徒たちのほとんどが、「こんにちは~」と挨拶をくれる。いくら、教えられたと言っても中学生である。見知らぬおっさんに挨拶するのは抵抗があるだろうに。中には「すみません。(待ってくれて)ありがとうございます」と言いながら行く生徒たちもいた。とても清々しい。山には人をそういう風にしてくれる力があるようだ。中島みゆきの「帰省」という歌がある。


>遠いの国に客には笑われるけれど 押し合わなけりゃ街は 電車にも乗れない
>まるで人のすべてが敵というように 肩を張り肘を張り 押しのけあって行く
>けれど年に2回 8月と1月 人ははにかんで道を譲る 故郷からの帰り
>束の間人を信じたら もう半年がんばれる

山で挨拶をする人たちに会って、そして自分がその一人になって、この歌をふと思い出した。山に登って元気がもらえるのは、山にそんな力があるからかも知れない。

下りは少し雨がぱらついた。そんな中、ビ-サンを履いた短パンの若者が、かかとのある靴を履いた若い女性ときキャ-キャ-言いながら、岩の道を降りて行った。もしこんな人が道を踏み外し怪我をしても、やはりヘリコプタ-の救急隊員たちは命がけの出動をしなければならないのだろうか。

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ホテルの部屋に帰り、温泉に入ったあと、ビ-ルを飲みながら妻と娘がお風呂から帰るのを待っていると、部屋をノックする音が聞こえた。ホテルの人が、「お部屋を替わっていただく準備が整いました。お荷物の用意ができていればお運びいたしますが」とカ-トと共に部屋の外に立っていた。「部屋を替わる?何のことでしょう?聞いていませんが」。「部屋のエアコンの調子が悪いので替わっていただくことに...」。確かに前夜、エアコンが効かないので点検してもらった。そのときは、「冷気が送られていません、今、臨時の接続をして動いていますが、根本的には直っていないので、明日、また、点検させていただきます」と点検の人は帰っていったのだ。それがいつの間にか、部屋を替わる話になっているらしい。「ちょっと待ってください。今、二人お風呂に行ってますし、部屋を替わるかどうか、今聞いたところなので検討させてください」、「そうですか、替わっていただく部屋は、1階下になり、ほんの少し狭くなりますが、白馬三山が見える景色のいい部屋です」。少しして、妻と娘が戻ってきたのでその話をすると、即答で「じゃあ、部屋を替わろう」と言う。「景色がいい」というのに飛びついたらしい。10分でパッキングをしてフロントに電話し、部屋の移動を手伝ってもらった。「晴れていたら白馬三山が見える部屋」は、残念ながら曇っていたので白馬三山のかなり手前の方の山しか見えなかったが、それでも見晴らしがよく、部屋のサイズもほとんど変わらないようだった。

この日の夕食は、和食の方のレストランに行った。17:30始まりの第1部である。ゆっくりとしたサ-ビスで気持ちよく食べることができた。

白馬での3日目は栂池自然園に足を伸ばした。ホテルからシャトルバス(1日1往復)が出ている。ゴンドラに乗り、そしてロ-プウェイに乗って、標高約2,000mの自然園に着く。思えば美ヶ原は2,000m、八方も2,000m、そしてこの栂池も2,000mだ。2,000mまで登ると清々しい。自然園は1周すると3~4時間かかる大きな自然の湿地帯である。コ-スの多くが木の浮橋になっていて歩きやすい。中には8月も終わろうかと言うのに、たくさんの高山植物が咲き乱れている。一部、白馬の大雪渓を間近に見られると言う所への道はちょっときついが、それ以外は登山靴でなくとも簡単に歩ける(もちろん、ビ-サンはX)。ゆっくり写真を撮りながら周る。娘の写真もたくさん撮らされる。残念ながら、曇っていて大雪渓は見えなかったが、楽しい4時間弱を過ごせた。もし、標高2,000mのところにコンビニやス-パ-があり、病院もあって、コンサ-トホ-ルもあるんだったら住んでみたいと思う(そんな都合のいい所はないか)。山を降り、シャトルバスを待つ間、売店で過ごすと言う悪いパタ-ンになった。案の定、娘の「これ買って」攻撃にさらされる。「バイトしてるんやから、自分で買えばええやん」。「嫌ぁ。買ってぇ」。甘えられるのもあと少しだろう(そうあって欲しい)。ホテルに帰り、またゆっくりお風呂に入る。とても贅沢な時間だ。

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この日は、また洋食のレストランの方に行き、娘の「お願い」により、通常メニュ-にスペシャルのデザ-トを付け加えたメニュ-をオーダ-した。そのデザ-トは、目の前でクレ-プを焼き、フランベで仕上げるものだった
4日目朝の朝食は、外のテラスで食べた。同じものでも場所によって雰囲気も味も違ってくる。ブッフェのありがたいところは、思いっきり生野菜が食べられる点にある。コスト・パフォ-マンスよくないかも知れないが、自分の食べたいものを食べたいだけ、しかも白馬の山に囲まれたテラスで食べられるのだから、それ以上何を望もうか。

10時前にチェックアウトし、タクシ-で白馬駅へ。JRで来た時と逆のコ-スで名古屋へ向かう。途中、松本で、この旅4回目のそばを食べる。蕎麦湯がおいしかった。特急信濃が名古屋に着いたのは午後3時。そこから歩いて5分のSフィテルにチェックインする。息子に電話するとまだ四日市の自宅にいた。出てくるのがめんどくさいようなことを言っていたが、なんとか重い腰を上げさせつ。夕食は7時にタイ料理。タイでは6年間住んだので、家族全員タイ料理が好きなのだ。夕食までの時間、二手に分かれて買い物に出た。私は一人でデジカメを買いに、妻と娘は洋服や身の回りのものを買いに。前から気になっていたが、今回の旅行中、ピントが合わないことが度々あり、カメラを買った。と言っても、基本的にポケットに入るサイズしか選ばないので、前のとたいした違いはない。妻は娘に振り回されたと嘆いていた。そうなることは百も承知だったので、別行動を取ったのだ。娘と買い物に行ってろくなことなはい。ようやく息子が来て、家族4人、おなじみのタイ料理の席につく。メニュ-をめくっって、あれと、これと...何年経ってもいつも同じようなものを注文する。車で来て、その日のうちに帰るという息子は、ノンアルコ-ルビ-ルを飲んだ。一口もらったが、おいしいとは思えない。ケーキを買ってホテルに戻る。部屋でケ-キを食べ、秋冬の予定を聞いて、息子は四日市に帰っていった。事前に聞いたときは泊まると言うので、二部屋取っていたのに...

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翌朝、バイトがあるという娘を名古屋駅まで送り、私たちは名古屋城へ向かう。暑い。チケットを買って門から入ると、ボランティア・ガイドの人が「出発しますよ」と誘ってくれたので、何となくその後について行った。このボランティア・ガイドさんが、とてもよく出来た人で、とうとう最後まで着いて行ってしまった。そのガイドのおじさんが言うことには、「本丸御殿を造営中なので完成予定の2017年に必ずまた来てください」ということだ。いろんな見地から日本の城のベスト3をおじさんは言い立てた。名古屋城は常にベスト3に入っているという自慢であるが、逆に、私はそこに名古屋城、いや名古屋そのものの悲しみを見た。名古屋城はけっして一番ではないのだ。常にベスト3の3。都市としての名古屋も決して1番になることがない。東京・大阪の次にしか名前が出ない(神戸はトップ10にも入らないが)。せめて、ドラゴンズが優勝すれば名古屋は救われる...(私も救われる)。 飛行機の時間までまだ間があったので、もう一つ、息子の推薦の「ノリタケ.の森」へ行くことにした。前に息子から話を聞いて、陶器の好きな私は1度そのノリタケの本拠地に行ってみたいと思っていた。願わくば、気に入った食器の一つや二つ買って帰ろうと... 17:30、後ろ髪を引かれながら、中部国際空港発の便でインチョンへ飛ぶ。

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今回の信州の山をテ-マにした旅は、いつものダラダラとはまったく違う、とてもアクティブなものだった。忙しかったが、身体や心は、最高にリフレッシュできたように思う。訪れた所の多くが、「また来よう」と思わせてくれる所だった。さあ、年末まで忙しくなりそうだ。


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2010年夏の信州 (3/4) 安曇野 [旅行]

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「安曇野」、何故かとても気になる名前だった。耳にしたときから行ってみたいと思っていた。そこに何があるかも知らず、ただ名前に惹かれて行ってみたい...どれだけ、ミ-ハ-なんだと自分でもあきれるが、それでも行ってみたい。イメ-ジとしては、遠くに北アルプスを望み、田んぼが広がり、晴れた秋の浅い日、農道を少し腰の曲がったおばあさんが歩いている。清流の川があり、その川に架かった橋を頬の少し赤い女子中学生のテニス部員が自転車で渡って行く...そんな、どこかのミネラル・ウォ-タ-のCMのような絵が思い浮かぶ。とにかく、行って自転車を借りて、そのへんを周ってみようというのが、今回の「安曇野地区」の旅の予定である。

上高地からバスで新島島に出て、松本電鉄に乗り換え、松本へ。そして、JR大糸線で「穂高」駅を目指す。松本から穂高まで30分ほどだ。車内放送で、「途中からワンマン運転になるよ。そうなると、一番前からしか降りられないからね。運転手に切符を見せてね。」と繰り返していた。スイスなどでは「人は正直だ」という前提に立っているのだろうか、改札は気が向いたとき...的な雰囲気があったが、日本では「小人閑居して不善を為す」的発想からか、もれなく改札するようである。穂高の駅前では、元気のいい貸し自転車屋のお兄さんが客引きをしていた。「ホテルに荷物を置いたらまた来るから後でね」。穂高駅から歩いて5分(今回の旅行ではXXから歩いて5分の宿が多い)、ビジネスホテル的なG-Yしのに着く。時間が早いのでチェックイン・シ-トの記入だけして、荷物を預かってもらう。「暑いでしょう」、そう言ってフロントのおばさんがジュ-スを入れてくれた。確かに、上高地から出てきた身にはかなり堪える暑さだった。駅に戻るとさきほどの客引きのお兄さんが、「待ってたよ」という顔をして迎えてくれた。なぜ客引きをしているか?それは、彼の店が駅から最寄の貸し自転車屋ではないからだ。競争に勝ち残るのは容易ではない。

自転車を選んでもらって、地図をもらって、同じくとても元気な店のおばさんに推薦ル-トを教えてもらう。知らなかったが、この辺りは道祖神で有名らしく、地図上に道祖神のあるところに印をしてくれた(残念ながら、それにはあまり興味がなかったので始めの2箇所くらいしか回らなかったが)。

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さあ、出発、軽快にペダルをこぎだす。おばさんの推薦どおり、駅前の穂高神社(明神にあったのも確か穂高神社)に寄ってお参りをする。「世界が平和になりますように。飢えで子供たちがが泣くなくことがありませんように。そして、うちの家族が幸せでありますように」、いつものお願いをする。次は、赤い大きな下駄のあるお寺、名前は忘れた。境内の隅に、あまりそれらしくない「日本百水(名水百選ではないらしい)」という手書きの看板があった。たしかに美味しい水だったが、それが水の所為か、暑さによる渇きのせいかはわからない。

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貸し自転車屋のおばさん、一押しの、「吉永小百合の通った道」に出る。その道にはそれらしい名前があったが、「吉永小百合が...」という言葉が印象に強く残っている。しかし、よく考えればそれに何の価値があるのだろう。日本国中、「吉永小百合が通った道」は数え切れないほどあるはずだ。吉永小百合でなくても、八千草薫や酒井和歌子が通った道、夏目雅子が通った道もある。「吉永小百合がいる道」(通ると握手をしてくれるとか、額の汗を拭いてくれるとか)ではなく、単に「通った道」である。おばさんが言いたかったのはたぶん、映画か何かのロケで通ったということだと想像する。確かに、小さな川沿いのいい道だった。自転車で走ると気持ちがいい。

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そして安曇野ガラス工房へ。気に入ったものがあれば買おうと思っていたが、期待違いで、かなり小規模で、展示品も少なかった。そこは、「地域の町おこしをしよう」的な雰囲気があるものの、「あんまり町は興ってない.」的な臭いを感じさせる施設の寄り集まった所だった。時間がよかったので、そこでお昼を食べることにする。今回2回目のそばである。店のおばさんが、そこにあるものを適当に食べるようにと指差した台には各種漬物、味噌汁、お茶、なぜかメロンなどがあった。無料である。「ここは韓国か?」と思ってしまうサ-ビスだ。この店だけのサ-ビスかと思っていたら、次の日、同じことがあったので、安曇野地区ではめずらしくないようだ。だんだん安曇野の実力が見えてくる。そばと五平餅を食べる。相変わらずそば音痴の私には、特に感想はない。

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田んぼが広がる気持ちのいい、そしてほとんど人のいない道を自転車で走る。着いたのは、大王わさび農場だ。このあたりの観光の目玉らしい。安曇野の豊かできれいな湧き水を利用したわさび畑が広がっている。売店ではわさびソフト・クリ-ムだのわさにビ-ルだのを売っていた。この日はとても暑かったので、ソフト・クリ-ムの方は人気は抜群だった(わさびが入ってなくても売れたに違いない)。それに比べ、ソフト・クリ-ムをなめながら私が観察していた約10分間、わさびビ-ルを買ったのは一人だけだった。その人の飲み方、表情から判断して、わさびビ-ルは試してみなくても良さそうだった。その後、地図にあった美術館を訪ねる。安曇野にはたくさんの美術館がある。特に興味があったわけではないが、行きがけの駄賃で、通り道にあった荻原碌山の美術館に入った。そばにも音痴だが、芸術の方にも音痴な私である。「早春賦」の歌碑の前を通ったときは、「春は名のみの 風の寒さや~」という歌がそこで作られた情景が何となく想像された。浅い春の日、安曇野のせせらぎの近くに立てば、春の陽はあっても、風はまだまだ寒い...4時間ほど自転車を乗り回して無事帰還。

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ホテルの前のス-パ-で、桃を買う。海外に住んでいて手に入らないものの一つに、甘い白桃がある。それを見つけたのだ。ホテルの冷蔵庫にそれを入れ、少し休んで夕食に出る。貸し自転車屋のお兄ちゃんが教えてくれた、「餃子館」に行くことにした。ホテルから歩いて10分ほど。おしいい餃子にも海外ではなかなか巡り会えない。店の中は薄暗く客が一人もいなかった。戸は開けっ放しで、冷房もない。若干不安になる。それでも、ビ-ルを飲みながら、各種餃子が出来るのを待つ。店内の壁にはここのオ-ナ-が描いたらしい芸能人の似顔絵がたくさん飾って合った...が、私にはほとんど誰かわからなかった。それは絵の所為ではなく、私が日本の芸能人(若い人)を知らなさすぎるためである。やがて出てきた餃子は...驚いたことに期待を'裏切り、とてもおいしかった。あまりおいしかったので、キッチンに行って追加注文をした。そんなにおいしいのに、私たちがいた1時間と少しの間に、若い女性の客が一人来ただけだった。シ-ズンオフの火曜の夜はそんなものなのか。この店の将来が不安になる。ホテルに帰って例の白桃を食べる。ガブリ、ブチュリ、ダラ-リ...白桃を美しく食べるのは難しい。しかし味は最高だった。長くご無沙汰していた「桃」の味。これを知らない外国人はかわいそうだ。日本の国策として中国の富裕層などに高く高く売りつけてやればいいと思う。

翌日は、娘と合流して白馬に行くことになっている。娘に会うまでの時間を有効に使おう。ほんとうに今回の旅行は激しく行動している。JRで5駅ほど乗って、「信濃松川」まで行く。ここのお目当ては「岩崎ちひろ美術館」だ。駅前に町のインフォメ-ションセンタ-があり、そこで貸し自転車もやっていた。美術館までは歩いて30分ほどらしかったが、前日乗った自転車がとても楽しかったので、自転車で行くことにする。荷物は有料で預かってくれた。駅から岩崎ちひろ美術館までの道が最高にいい。妻に言わせると、これが思い描いていた安曇野とピッタリ一致するのだという。田んぼの稲は少し黄色がかって、収穫の時期が近いことを告げている。りんごや桃の木。涼やかな川。風景を囲む山々...深呼吸すると肺の中がきれいになりそうな所だ。


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岩崎ちひろのことをよく知っていたわけではない。だいたい、情けないことに、この日まで男の人だと思っていたくらいだ。美術館は手入れされた広い庭に囲まれて建っていた。館内は広く静かだった。彼女の絵は独特の淡いト-ンで描かれ、見ているだけでお話しが見えてくるようである。大きく「カメラ禁止」などと表示されてなかったので、気づくまでに2~3枚撮ってしまった(もちろんノ-・フラッシュ)。ゆっくり絵を見て回り、何冊か絵本を読んで、特別展示場も見た。ちょうど「ス-ホ-の白い馬」の作者の展示があり、その絵本も読んだ。子供のころ読んで、なぜかとても心に残っている絵本だった。館内のカフェで、お茶を飲む。安曇野には、そして岩崎ちひろ美術館にはゆっくりした時間が流れている。そうか、この時間の流れに会うために安曇野に来たんだと気がついた。娘から電話があり、予定変更で信濃大町発の電車で会うことになった。美術館からの帰り、ちょっと寄り道をして川沿いの道を自転車で走る。多分住めないだろうけれど、安曇野がとても好きになった。

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自転車を返す。インフォメ-ション・センタ-内にある食堂には、「そばは売り切れました」と看板が出ていた。「こんなところにも売り切れるほどお客さんが来るのか?」と看板を見ながら首をかしげていると、職員の人が来て、「あれ、そんなことないはず。ちょっと待って」と食堂のおばちゃんに聞きに行ってくれた。「え、全然売り切れてないよ」と食堂のおばちゃんはあわててやって来た。「あ、昨日出して引っ込めるの忘れてた」...確かに安曇野にはゆっくりした時間が流れているらしい。この旅行3回目のそばを食べる。「さっき取れたところなんよ」、安曇野地区ではそうであるらしい、「自由にお取りください」のコーナーに赤いトマトが置いてあった。これがまた最高においしかった。町の広報の人が来て、この食堂を宣伝するためにと写真を撮っていた。食堂のおばちゃんは、そばを持って写るように言われて、「私はダメダメ」とひどく躊躇していたが、最終的に写真を撮られていた。食堂から出ると、その広報の人がやって来て、町のマスコットといっしょに写って欲しいという。「こういうのは本当の旅行者の方がいいんです」、バッタのような、なぞのマスコットといっしょに写真を撮られた。あの写真が何かに使われないことを祈るばかりである。

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娘は松本で大学時代(今もまだ大学に行っているが)の友人と会い、信濃大町までその人に送ってもらうのだと言う。信濃大町で乗り換え、その電車が出る5分前に娘がやって来た。これからいっしょに白馬で3泊する。


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2010年夏の信州 (2/4) 上高地 [旅行]

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8時50分発の松電バスに乗り、上高地へ向かう。初めて上高地に入ったのは、もう40年ほど前の夏。当時中学1年生だった私は、父に連れられ、家族4人、乗鞍岳登頂(人生初の3,000m)のあと平湯を経由して、あの別世界に足を踏み入れた。12歳ではまだ物事の価値を把握することが十分ができなかったが、そんな子供の私にも上高地はそれまで行ったどことも違う場所だった。2回目はこれも30年近く前、新婚旅行で上高地帝国ホテル(人生初の豪華ホテル)に泊まった。そして今回が3回目だ。一般マイカ-の入山を規制しているのは、どこかスイスのツエルマットのようだ。新島々を過ぎて沢渡を過ぎ、バスは深い渓谷を縫うように走る。山の緑が濃い。終着の上高地バスタ-ミナルから歩いて5分であの有名な河童橋。そして今回投宿するのは橋のほとり(橋の下ではない)にあるSら樺荘。時刻はまだお昼前だが、荷物を預かってもらって早速歩き出す。

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河童橋にはたくさんの人がいて、風景を眺めたり写真を撮ったり忙しい。川の上流には上高地のアイコン的な明神岳と、その後ろに穂高連峰をつなげる穂高の釣り尾根。そして川の下流には活火山の焼岳。この場所に立つだけで上高地の素晴らしさがわかる。「ああ、また上高地に来た!」、思わず顔がにやけてしまう。ただただうれしい。上高地は標高1,500mの谷間に広がる一大山岳リゾ-トだ。梓川に沿って整ったハイキングロードを歩く。歩くにつれ姿を変える山々、梓川の水の音と色、虫の声、風の感覚...他に何が要るというのだろう。田代橋に至る手前に帝国ホテルへと続くプロムナ-ドが現れる。家内が言い張るので、仕方なく帝国ホテルのカフェでコ-ヒ-を飲む。約30年前、同じようにここに座ったことはほとんど記憶にない。覚えているのはやけに緊張したことと、カフェの中央に位置した巨大な暖炉の姿だけだ。それにしても、この帝国ホテルのアイコン的人気は非常に高い。お昼前のフレンチ・レストランには長蛇の列である。なぜ山でフレンチを食べたいのかよくわからないが、人気の場所とはそういう物なのだろう。 田代橋にもどる。梓川に掛かる橋は多くないので、橋がどこにあるかしっかり認識しておく必要がある。この辺りは川幅がせまく水の流れはかなり急になっている。水の色がいわゆる「水色」になり美しい。さらに川に沿って歩く。歩道が木の浮き橋になっているところが増える。自然保護のために、大きな努力がなされていることに感謝しよう。そして、田代池。記憶ではもっと大きな池だったように思うが、今では川の続きの浅瀬のようになっている。梓川には恒常的にかなりの土砂が流れ込んでいて、それが川の流れを変えたりする、そして時に大雨が降ったりして、山が崩れ、風景を変えていく。それが自然の営みなのだ。自然の変化に任せるか、現状維持に努めるかは微妙な問題である。そしてその微妙な問題の象徴のような大正池にたどり着く。ここは大正時代、焼岳の噴火でできたまだ新しい池だ。池面に枯れた白樺の木が立つのがとても印象的だ。この池にもたくさんの土砂が流れ込んでいる。私の記憶では、白樺の立ち枯れの木がもっと多かったように思うが、どうなのだろう。いずれにせよ、この大正池そのもの、そして後ろにそびえる焼岳の姿は、ただただ美しい。

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大正池のほとりでNカフェ・タイムを楽しんだ後、ホテルへと道を戻る。田代橋からは反対側の川沿いの道を行く。上高地を開いた人として有名なウェストンのレリ-フも昔のままだ。川を挟んだ六百山が歩くにつれどんどんその姿を変える。川沿いをそして森の中をハイキング・ロ-ドは自在に私たちを高原の世界にいざなう。河童橋までもどるともう4時近くになっていた。Sら樺荘で改めてチェックインする。通された部屋は、窓の向こうに明神岳や穂高の釣り尾根を望むすばらしい景色の部屋だった。温泉にゆっくりつかり、贅沢な時間を過ごす。夕食は岩魚の串焼きなど美味しい和食のコ-スだった。地元のお酒といっしょにまったりとした時間を味わう。

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翌朝6時半、ホテル主宰の早朝自然観察ウオ-ク(ちょっと違う名前だったような気がする)に参加する。朝早い上高地を自然観察を主眼に歩こうという趣旨だ。無料だと書いてあったと思ったが一人700円取られた。しかし山の中にいて気分がいいので、そしてそれが7万円ではなく700円だったので、文句を言わず払った。ガイドはホテル所属の自然監察員である。鳥の名、花の名、川の由来、サルの行動、上高地の四季の様子などを聞きながらの1時間はあっという間に過ぎた。例年、上高地は11月初旬に町を閉じるという。10月後半には、紅葉と初雪がいっしょになり素晴らしい風景が見られるらしい。いつの日か訪れたいものである。

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ホテルに戻ると朝食のレストランは人であふれかえっていた。部屋番号を伝え、空いたら電話してもらうことにした。ふだんは、おかゆ一杯の朝食だが、旅行に出るとその量と質が著しく増える。松本のホテルもそうだったが、上高地のホテルもバイキング形式だ。お皿いっぱいおかずを取る自分が悲しい。でも、正しい和食の朝食はおいしい。驚いたことに、山の中なのにおいしいちりめんじゃこが山盛りになっている。大根おろしとこれだけでお茶碗がすぐ空になる。

前日、大正池に行ったので、この日は逆方向、明神池から徳沢、さらには横尾(上高地から涸沢への玄関口)まで以降という算段をする。ちゃんと計算しなかったが、帰って考えると往復24kmほどのコ-スだった。ホテルのパッケ-ジとしてお弁当がついていたので、フロントでそれを受け取り、横尾への道を踏み出す。明神までは人も多く、道も歩きやすい。いわゆる「登山者」の姿が多く、「ハイカ-」である私たちはお客さんのようである。ここでは自然に「おはようございます」、すれ違う人と声を掛け合う。高校や大学のワンゲルか登山部か、若い人は元気がいい、大きな声であいさつしてくれる。慣れた一人歩きの登山者たちの反応はそうでもない。彼らにすれば、「へん、俺らの領分にちゃらちゃら入って来るんじゃねえ」と言った気持ちかも知れない。そんなことはどうでもいいのだ、この気持ちよく歩ける道に居られることだけでも感謝したい。明神橋にたどり着く、橋の向こうに大きな明神岳がそびえる。そして鳥居があって明神池を擁する穂高神社に行き当たる。朝聞いた話では、昔、明神岳のことを穂高と呼んでいたそうだ。それゆえ、明神岳の麓に穂高神社があると。明神池は、鏡のような池だ。もし紅葉に季節に来たら...と想像するだけでもその美しさが目に浮かぶ。通常、ハイカ-は明神でU-タ-ンし、上高地へ戻る(まるで私が通常のハイカ-ではないような言い方だが)。次に目指すは徳沢のキャンプ場。姿を変える明神岳を木々の間に見ながら歩く。人の数がどんと少なくなる。大抵の人が大きなリュックを背負っている。途中、梓川の川底をすくう工事をしていた。すくった砂利をどうするんだろう?持っていくところはどこにもないのに。徳沢にはまだカラフルなテントが残っていた。高いホテル代を払わなくてもキャンプなら一人500円だ。登山用品も改良され、テントなども信じられないくらい軽くなっているそうだ。徳沢からからに4kmほど行くとついに横尾のキャンプ場だ。ここで梓川を渡るとあとはきつい上りが続き、有名な涸沢の小屋へと導かれる。もちろん、私のような軟弱ハイカ-が行くところではない。

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横尾で大休止。河原で弁当を広げることにする。場所を探していると一人の外人がテントを張りかけているところがあった。ちょうどそばに座りやすそうな石があったので、そこに落ち着く。その外人が一人でテントを組み立てていくのを眺めながら、お腹を満たしていく。

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彼がテントを張り終えた頃、私も弁当を食べ終えた。「Finished?」、「How was your lunch?」、何となくお互いに声を掛け合う。彼はカナダ人で東京で英語を教えていると言う。日本に来て長く、上高地にも10回近く来たことがあり、この次の日には涸沢へ行き、そして槍ヶ岳を目指すのだと言う。見た目はおっとりした感じの人だったが、きっとベテランの登山者なのだろう。「じゃあ、がんばって槍に立ってください」、「いい1日を」そう挨拶して、腰を上げた。さて帰りである。さすがに片道12kmは短い距離ではない。往きはよいよい帰りは恐い。徳沢まで戻った頃から心持ち足が重くなる。そこから明神までは少しきつかったが、明神でまた人の数が増え、元気も戻った。六百山もきれいに見え出した頃、気がつくとホテルの裏手についていた。往復24km、なんとか完歩。そのあと、バスタ-ミナルまで行って次の日のバスを予約する。そして前日両親に書いた絵葉書を隣接する郵便局で出す。「高山植物の切手でいいですか?」、窓口の人がていねいに応対してくださった。驚いたのは値段だ。「1枚50円です」、「え、50円でここから兵庫県まで届けてくれるんですか?それは申し訳ない...」。長く日本ではがきを出してなかったので、てっきり80円(これは封書か)、そしてたぶん値上がりして120円くらいかと思っていた。

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ホテルの窓から穂高がきれいに見えた。昨日は雲の掛かった穂高、今日はすっきり晴れた穂高。どちらも素晴らしく、なんだかすごく得した気分になった。夕食は時間をかけ、お酒も熱いのにしてもらった。上燗が疲れた身体に心地いい。

前日の早朝自然観察ウォークで6時半に外に出たとき、すでに人が出ていた。高原は早朝が美しいと言うことをみんなよく知っている。それを満喫するために、朝6時に個人的に散歩に出た。旅行に出て街歩きをする1つのねらい目の時間は朝ごはん前だと思う。街が賑い始める少し前の時間を楽しむことができる。水蒸気が彷徨う梓川沿いに、初日に行った大正池まで行ってみることにした。明神岳や焼岳が、少し朝日に染まりほんのり紅をさしたように見える。鳥たちも、昼間より活動的だ。朝靄のも梓川、田代池、そして大正池、どれもすばらしかった。朝から往復約8kmを歩いた甲斐がある。そして、歩いていること自体がとても楽しい。この早朝の散歩をしたことで、私はいつか再び上高地に戻ろうを固く心に誓った。こんなに気持ちよく歩かせてもらってありがとう。

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8時ちょうどにホテルに戻り、人の減ったレストランでゆっくり朝ごはんをいただく。ホテル内は部屋にある浴衣で行動してもいいことになっているが、それがレストランにまで範囲が及ぶと、私はどうも違和感を感じてしまう。部屋食ならまだしも、公共の場にパジャマで出てくるのだ。新聞をちょっと取りに出てくるのではなく、お風呂に行くのでもない、ご飯を食べにくるのである。そして残念ながら、そういう人に限って、浴衣の着方があまり上手とはいえない。東南アジアの和食レストランのウェイトレスによくある、とても中途半端な姿である。(後に泊まった白馬のホテルでは、「レストランへは。浴衣・スリッパはご遠慮願いたい」との表示があった) ま、そんなどうでもいい観察をしながら、朝ごはんを楽しむ。

10時過ぎのバスに乗って、上高地を出発し、次の目的地は、今回の旅行では今いちぼんやりしている(目的や計画が)安曇野である。

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