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5月の読書、「五千回の生死」、「海のふた」、「日本史集中講義」など [本]

暖かく(暑く?)なって、週末も外に歩きに出ることが多くなった。
不思議と読書の時間は減らず、逆に歩いた分、読む量も増えたように思う。


「五千回の生死」、宮本輝
「Reverse リバ-ス」、石田衣良
「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」、竹田恒泰
「カッシーノ」、浅田次郎
「海のふた」、よしもとばなな
「日本史集中講義」、井沢元彦
「田村はまだか」、朝倉かすみ


「五千回の生死」、宮本輝
宮本輝の本は、ある程度読んでいる。私は、いわゆる「純文学」というジャンルのものはあまり好きではない。理由は単に面白くないから。この「五千回の生死」は、たぶんその「純文学」に属するものだと思う。でも、面白かった。面白さなんて、結局、そのときの精神状態やその時までに溜め込んだ経験、感受性、そして単なるその人の嗜好によるだろう。子供は筑前煮があまり好きではないし、ピ-マンを焼いたものも好まない。トマトとモッツェレラチ-ズのサラダが大好きという子供も少ないだろうし、焼き魚のはらわたを食べるなんて考えもしないだろう。それは、子供の身体が要求していないという物理的な面もあるが、子供の舌がそれらの味を賞味するだけの経験や能力を持っていないからだ。本の好き好きも、そんなものだ。年を重ねないと理解できない、面白いと思えないことがたくさんある。この「五千回の生死」を20歳の時、いや30の時に読んいたら、きっと「つまらない」と感じたと思う。「お金に窮した主人公は、欲しがっていた友達にレア物のジッポ-のライタ-を売りに行ったが友達は留守だった。失意の帰り道、電車賃がなっかったので主人公は歩いて帰ることにした。すると自転車の後ろに乗せてやるという男に出会い、その男は1日に五千回死にたいと思ったり生きたいと思ったりする」という話しのどこがおもしろいのか、「だから何? 結末は? 落ちは?」と突っ込み、「こんな本、時間とお金の無駄やった」と嘆いたことだろう。実際、客観的に文字の上をなぞっていくと、ほんとうに「つまらない」のだ。それは、ピ-マンやトマトが青臭いのと同じである。でも、年齢は、その青臭さをいとおしみ、楽しむ術を授けてくれる。ありがたいことである。

「Reverse リバ-ス」、石田衣良
こどもの日の朝、南漢山城でちょっと歩き、午後、3時間ほどでこの本を読んでしまった。読みながら、「そんな都合のいい話はないよな」と思った。いわゆるヴァ-チャルな世界で知り合った男女。あるネットワ-クに男は女性として登録し、女は男性として登録する。ちょっとしたいたずら心で始めた2人だが、2人の間で交わされる本音のメールは、お互いを惹かせ合い、それゆえ性を偽っている自分たちを責める。偽っているが故に、会うことが出来ないはずの2人なのに、物の拍子でいわゆる「オフ会」へと発展してしまう。そこからは、ほとんど想像通りのまっすぐな展開が待っている。少し意外性があってもいいんじゃないかと思うほど単純な展開だ。途中、「プラダを着た悪魔」のパクリ?が入り、「電車男」を思わせる人物像が見えたりする。こんな事を言っては何だが、売れっ子作者が時間に押されて書いた、あまり、上質ではないチ-プなエンタ-テインメントに見えないこともない。残るものは少ない。
自分の本音を語る・語り続けることができ、それを受け止めてくれる友人や家族がいるということは、大変稀有で幸せなことなのだろうと思う。ヴァーチャルな世界ではそれができても、それが現実世界と交差した瞬間に同じことができなくなってしまう...人間ってほんとうにややこしい生き物だと思う。

「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」、竹田恒泰
タイトルを見て、「ん?」と思った。世界で一番人気がある? 日本が?、気になって買った。うまいマ-ケティングと言える。私は簡単に釣られた。前回、ほぞを噛んだPHP新書だ、作者のバックポーンを見ておこう。「なになに、旧皇族、竹田家に生まれる、明治天皇の玄孫...」、う~ん、これは油断できない。勉強不足で「竹田家」なるものの存在さえ知らなかったが、旧皇族の方が書いたのなら、天皇に関する記述は、失礼ながら眉に唾をつけて読まねばなるまい。初っ端から、いろんな統計値を出して、日本に対する評価が、我々の想像に反し、かなり高いという点から話が始まる。著者によれば、和を尊び、勤勉で、謙虚で、技術力にも優れ、自然を大切にするすばらしい国だという。それらは、説得力のある論理の展開でいちいちうなずかされる。私も海外生活が長くなり、日本のいいところはたくさん見えるようになった。日本が好きだし、日本に生まれ育ったことをとても幸運だと思っている。著者は大切なことを2つ言っている。一つは、明治維新を機に、欧米に追い付け追い越せと頑張っているうちに、日本は大切な何かを置き去りにしてきたということ。そして、「和して同せず」という肝心なことを忘れ、日本人の大半が「和」から「同」へと流れてしまっていることである。日本人は日本をもっと大切にすべきだと思う。
ただ、著者の論点に賛成できない点がある。それは、著者が科学的・論理的考証をせずに、「天皇がいるからこその日本」的発言を繰り返していることである。私は、皇室の存在には極めて懐疑的である。たとえそれが世界一古い王室であっても、その根拠が「世襲」であるという一点においてそれを支持することができない。今上天皇と皇后は、素晴らしい人だと思っている。よく知らない人を尊敬するということはあまりないことだが、私はこのお2人を尊敬している。それでも、それはそのお2人のされていることやそのお考えに対してであり、決して世襲の血に対してではない。

「カッシーノ」、浅田次郎
あの浅田次郎がヨーロッパのカジノでギャンブル三昧という本だ。久保吉輝による多数の写真が美しい。本来貴族の社交場であったカジノは、どこも豪華で華麗である。ドレス・コードも厳しく、作者もタキシード姿で鉄火場に登場する。ヨーロッパのカジノにはしっかりした文化、もっと言えば、哲学があるような気がする。「電気の無駄な消費」と某自治体の長に槍玉に挙げられた「パXンコ」とは少し違う。
私は、学生時代と社会人の初期、仲間内で小さな賭け麻雀をやったことを除けば、ギャンブルとはほとんど縁がない。競馬場に行ったことも馬券を買ったこともない。何かの拍子で旅先のカジノを覘いたことは数回あるが、火傷をするほど入れ込んだことはない。カジノは基本的に、いや絶対に胴元がもうかる仕組みになっている。長くやればやるほど胴元に金が集まる。
博打小説は好きだ。ことに阿佐田哲也の「麻雀放浪記 全4巻」は、何度も繰り返し読んでいる。博打には人生があり、哀愁があり、そして哲学がある。登場人物はどうしようもない人ばかりであるが、とても魅力的である。絶対にハッピーエンドにならないのに、数知れぬ人が博打の森へと迷い込む...

「海のふた」、よしもとばなな
よしもとばななは不思議な作家だと思う。彼女の本を読み込んだわけではないが、数冊の本のそれぞれに感銘を受けた。この本には「まりちゃん」と「はじめちゃん」という2人の若い女性が登場する。「はじめちゃん」は小さいころ家で火事があったとき、顔を含めた身体半分に火傷をおう。この「はじめちゃん」の設定を読んだとき、私は同じクラスにはなったことはないが、小学校の同級生である「Tさん」を思い出した。Tさんの顔には大きなあざがあった。それが生まれつきのものか、何かの事故でそうなったのかは知らない。でも、確かに、Tさんは心無い中傷の言葉を投げつけられ、傷つき、つらい学校生活を送っていたと思う。今になって思えば、どうしてもっと「普通」に接することができなかったのかと悔やまれる。「何かをした」わけではないけれど、Tさんとは一言も言葉を交わしたことがなかった。クラスが異なれば言葉を交わす機会はほとんどない。でもやはり私は「何もしない」ということを無意識に選択していたのだと思う。火事のとき、「はじめちゃん」を助けようと、おばあさんは身体を張って「はじめちゃん」を守った。そのおばあちゃんが亡くなり、それを機に親戚同士の見苦しい遺産の奪い合いが始まる。愛するおばあちゃんを失った傷心の「はじめちゃん」は、お母さんの友人の所へ、ひと夏避難する。そこは西伊豆のよく言えば「ひなびた」、正直に言えば「すたれた」温泉場だった。そのすたれていく町を何とかしたいと思いながら、カキ氷屋を始めた「まりちゃん」が、「はじめちゃん」のお母さんの友人の娘だった。話しのほとんどは、この2人の会話と、そして「まりちゃん」の心の中の言葉でなりたっている。読後感は最高にいい。「慈悲と無慈悲のバランス」という言葉が文中にあり、なんだかとても印象に残った。

「日本史集中講義」、井沢元彦
現状の日本史教育に批判的立場をとる著者の本だ。アマゾンのコメントを見て購入した。私にとって高校の日本史は最もつまらない授業の一つだった。それは基本的に暗記、しかも漢字の書き取り付きの暗記だった。暗記も漢字もきらいな私には、好きになる要素がまったくない。しかもその授業のとっつきは、どう考えても 興味のわかない「縄文時代」から始まるのである。ほんとうに文部省は日本史を教えようと言う気があるのか、ほんとうじは教えたくないど教えないわけにはいかないので、学生が興味を持たないように工夫しているのかと疑いたくなる。まじめな私にはめずらく、日本史の授業はよく寝た。
もしこの本が教科書だったら、私の高校生活は大きく変わっていただろうと思う。少なくとも、授業で寝る回数はもっと少なかっただろう。例えば、秀吉の「刀狩り」の本当の意味が初めて分かったし、信長の「楽市・楽座」の必要性とその効果も目が覚めるようにわかった。聖徳太子の創ったと言われる「憲法17条」が、坂本龍馬の「船中八策」を基にした「五箇条の御誓文」へと繋がる流れ。まさに目からうろこの連続である。黒船に乗って恫喝的態度で日本の鎖国政策をこじ開けたペリーの意図したことも大変興味深い。もちろん、著者の言うことが100%正しいとは思わない。独自の解釈により、無理な説明をしている部分もあるかと思う。それでも、歴史はおもしろいものだということを教えてくれる一冊だ。

「田村はまだか」、朝倉 かすみ
小学校の同窓会の3次会、遅れてやってくるはずの「田村」を待つ、40に手の届いた中年5人の元クラスメ-トと、彼らが田村を待っている場末のスナックの主人の物語。読者は当然、「田村」とはどんなやつなのか気になってペ-ジをめくるが著者はそんなに親切ではない。なかなか「田村の像」の焦点が結ばない。「田村を待つ間に、元クラスメ-トたちは酔っ払っい、そして徐々に5人の関係、田村の人物像などが明かされていく。そして結局、田村は現れず、逆に5人の友人が田村のもとへ足を運ぶことになる...
待ち人の名前は、「田中」でも「木村」でも、はたまた「村田」でもよいのだろうが、著者は小学校の同窓生のあるべき名前として、「田村」を選んだ。巻末に短編、「おまえ、井上鏡子だろう」という作品を載せていることから(井上鏡子は中学校の同級生)、著者はある種の名前フェチなのではないかと推察される。同じ内容で、もし、「田村はまだか」ではなく、「伊集院はまだか」や、「鮫島はまだか」、または「青山はまだか」では、作品が成り立たなくなるような気がする。「浜口はまだか」や、「木下はまだか」は許されるが、「金沢はまだか」とか「水戸はまだか」では、鉄道小説と勘違いされる。私は、この本から何を読み取ったのだろう?

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コメント 12

krause

沢山読んでいらっしゃいますね^^。私も、井沢元彦と浅田次郎の著作は割合気に入っています。石田衣良は、興味はあるのですがまだ未読です。今度読んでみようと思います。
by krause (2011-06-02 12:58) 

ももんが

浅田次郎さんのカッシーノ、今度読んでみたいと思います。
宮本輝さん・・・私もずいぶん疎遠になってました。また、何か呼んでみたいなあと思います。
ちなみに、主にミステリーを読むことが多い私、先日「こんなのばっかり読んでるからヒステリックになるんだ!」と日本一ヒステリックな男にヒステリックに言われました・・・。ハハハ(^_^;)
by ももんが (2011-06-02 18:33) 

葵ママ

ああ、竹田恒泰氏ですか。彼の書いた「語られなかった皇族たちの真実」を購入したことがあるんですが、素早く斜め読みしただけでブックオフに売り飛ばしました。

だって、雀翁さんの仰るように“科学的・論理的考証をせずに”、天皇の位は男系男子のみに許されるものなのだ、なんて繰り返すんですもん。そんなの、歴史を丹念にたどってみればそれこそ大嘘なのに。でもって、自分たちのような若手の旧皇族家系の人間を皇籍に戻すべきなのだ・・・といった主張が透けて見えてもううんざり。

確かに彼は曾祖母君が明治天皇の皇女様ですし、祖父は伏見宮分家の一つである北白川宮家のそのまた分家の竹田宮家最後の当主。でも、父親は三男で戦後生まれ。しかも皇籍離脱直後に生まれてますから、厳密なことをいえば皇族であったことすらない。たとえ戦前の体制が崩れず、竹田宮家が存続していたとしても、三男である彼の父親が宮家を相続する確率は低かったのです。どーせ、父親の代に皇籍を離れ爵位をもらって華族になってたはず。

そんなおこがましい若造(私より13も年下)が、あっちこっちでもてはやされるなんて、歴史をよー知らん馬鹿が増えてるんじゃないかと大変危惧しております。「語られなかった皇族たちの真実」など山本七平賞もらってるんです。信じられない・・・
by 葵ママ (2011-06-03 00:23) 

雀翁

krauseさん、

私にとって、読書は趣味と言うより自分を取り戻す大切な時間です。乱読は楽しいです。

by 雀翁 (2011-06-03 12:03) 

雀翁

ももんがさん、

>日本一ヒステリックな男にヒステリックに言われました

爆笑です。そうやって、さらっと流せればいいですね。

宮本輝の本は、読んで「はずれた」と思ったことがありません。N社の違いのわかる男(ずいぶん前)に出たときは、まったく知らなかったのですが、それが縁?でたまに買ってみると、しみじみいい作家だとだと思います。

ここ20年ほど、一部を除いてミステリ-から遠ざかっています。若いときはずいぶん読んだのですが...

by 雀翁 (2011-06-03 12:07) 

雀翁

葵ママさん、

激しく同意します。

親が金持ちであったり、いわゆる名家の出であったりすることを自慢げに話す人がいますが、私はそういう話に価値があるとは思えません、うんざりです。それらは、本人の努力の結果でもなく、「たまたま」そうなっただけのことで、本人の価値とはまったく無縁のものだと考えるからです。自分が努力をして身につけたことを誇るのはいいと思いますが、血筋や先祖・親の財産をうれしそうに話す人は、自分自身には何の価値もないと公言しているとしか思えません。宝くじで大当たりしたと喜んでいる人と基本的に同じです。ただ、宝くじにあたった人は、それをちゃんと認めていますから、何の問題もないと思いますが。

人には必ず両親がいて(最近は科学の発展でちょっとあやしくなってきましたが)、その両親にはまた両親がいます。どの家系も記録がないだけで、実体的には必ず膨大な家系図が存在するはずです。10代続いていようが100代続いていようが、その家系の長さには何の価値も見出せません。ただ、その家系の中で引き継がれてきた技能やノウハウには大きな価値があると思います。でもそれは、「血」と関係のないことです。昔、中国で理想とされた「禅譲」には血の継承がありません。「血」にこだわるのはまさに人間の欲望と煩悩の為せる業だと思います。
by 雀翁 (2011-06-03 12:27) 

collet

うふふふ・・・(~o~)
どこかからか「雀翁はまだか」との声がしそうです。
まるでいつぞやの雀翁さんの同窓会を思い出しますね~(~o~)

それにしても、登山や羨ましいホームシアターなど、
いろんな楽しみの他にも、こんなに読書もして!
いやはや・・・(@_@;)
by collet (2011-06-03 15:57) 

雀翁

colletさん、


同窓会というのじは、ある意味とても緊張する半面、際限なくやさしくなれる場所だと思います。子供のころ共通の時間を過ごしたというだけで、何でもわかりあえるように感じるのは不思議です。

そうですね、好きなように楽しませていただいています。しかし、そうおっしゃるcolletさんには遠く及びません。

by 雀翁 (2011-06-04 15:59) 

青沢東(QMY)

ご無沙汰しております!
久しぶりにお邪魔して、
「海のふた」、よしもとばなな
「日本史集中講義」、井沢元彦
「田村はまだか」、朝倉かすみ
の3冊をアマゾンに発注している自分を見つけてしまいました。
by 青沢東(QMY) (2011-06-07 00:24) 

雀翁

QMYさん、

久しぶりです。体重は元にもどったのでしょうか(要らぬお世話?)、虎さんチ-ムは昔の位置に戻ったようですが(もっと要らぬお世話)。
素早く、アマゾンでクリックしたのですね。「田村...」は微妙ですが、あとの2冊はいい本だと思います。

by 雀翁 (2011-06-07 18:49) 

青沢東(QMY)

産後すぐは元の体重より2キロも少なくなって、妊娠ダイエットか?!と思っていたのですが、すっかりもとに戻ってしまいました(苦笑)。かすかに授乳ダイエットに期待している今日この頃です。
虎さんチームには…期待という言葉さえ失ってしまいました(涙)。
by 青沢東(QMY) (2011-06-13 09:16) 

雀翁

QMYさん、

今年は、タロウ(HN)に専念し、健康のため、虎さんチ-ムのことはしばし忘れましょう。


by 雀翁 (2011-06-13 12:08) 

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