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閑話休題 ブログのこと


とんとブログの記事が書けていない。

父の葬儀以後、公私共に急に忙しくなって書く時間が見つからない...と自分に言い訳をしながら、常連さんたちの記事を見せて頂き、それにちゃちゃを入れるに留まっている。ブログを書き始めたのは、かれこれ4年半前、高校生のときの「班ノ-ト」のようなのりで書いていた。記事を読んでいただき、おまけにコメントまでいただけると、とてもうれしい。なのに、最近書けていない

桂枝雀の「寝床(浄瑠璃)」という上方落語のCDの枕で、なぜカラオケがこれだけ流行したのかを分析している。「カラオケ」そのものが好きなら、「歌うこと」が好きなら、機械を買って家で歌えばいいではないか。そんなに高くないし、歌い放題。、マイクの取り合いで喧嘩になる(最近はそんなことはないだろうが)こともない。なのに、何故、「外(人前)」で歌うのか?この疑問に桂枝雀は一つの答えを出している。それは、「家で歌っても、誰も聞いてくれない」からだという。人間の基本的欲望の一つに「人に認められる」というのがある(ように思う)。「人が聞いている」ということが大事なのだ。もちろん、人前で歌った場合、逆に「認めてもらえない(下手だと評価される)」というリスクもある。それでも、「自分が歌っている、人が聞いている」といのがポイントだそうである。日本人はやさしいので、「下手だ」と直接非難されることは少ない。落語の中では、大店の主人の下手な浄瑠璃をなんとか聞かないですむよう、いろんな言い訳をするという笑いに繋がっていく(この落語はめちゃくちゃ面白い)。

ブログにも同じようなことが言えるのだろう。つまり、「誰かが読んでくれる」というのが大事なポイントになる(ような気がする)。人それぞれなので一概には言えないが、私の場合よく当てはまっている。私は個人日記が苦手だ。成人するまでに何度か始めたが、3日と続かない。強制力が働いた場合(夏休みの絵日記など)、続けて書くことはできるが、それはその目的が日記を書くことではなく、強制力に従う(宿題をする)ということになるからである。中学生の時、「青春への遺書として」というなんだかとても恥ずかしいタイトルで日記を書いたことがある。これもまったく自発的なものではなく、担任のM先生による強制(書かないと罰がある)だった。そのとき、初めて読者(先生)がいる日記というものを書いた(書かされた)。書いていると、それはそんなに嫌なことではないということに気がついた。先生からの反応が楽しみになった。もちろん、読者(しかも先生)がいるので、気持ちを赤裸々にぶちまけた日記ではない。思春期の頃、自分の気持ちなど、決して他人には知られてはならないものだった。高校の班ノ-トも同じで、誰かが読むことを意識して書く(強制的に回覧される)。これは、実際、自分の気持ちを正直に書くより、ずっと楽な作業だと思った。本音7割と言うところだろうか。10割蕎麦では硬くて味気ない。読んだ人も、「適当な」コメントで応酬する。そんな言葉のキャッチボ-ルも楽しい。

始めは読む人などなく、気ままに浮かんだことを記事に書いていた、あくまでも自分のノ-トとして。でも、ブログがこのキャッチボ-ルの楽しさを提供してくれることを知り、その味を覚えてしまった。コメントを下さる方に感謝感謝である。しかし、キャッチボ-ルは受けるばかりでは成立せず、投げなければならない... 

こんな屁理屈をだらだら並べていないで、キャッチャ-がいなくなる前に、早くボ-ルを投げるべきなんだろう...

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krause

雀翁さんの記事更新を楽しみにしている一人です^^。

ブログは、SNSなどと比べると「街頭芸人」のようだという人もいるようです。私自身も、「下手の横好き」で、街頭芸人的要素を多分に楽しんでいます。記事ネタに詰まると「北総の畑・・・・・、北総の野菜」など、ちょっぴり手抜き的記事もありますが・・・・。
by krause (2011-11-24 01:14) 

雀翁

krauseさん、

ありがとうございます。
「街頭芸人」、ある意味あたっていますね。
北総の畑・野菜シリ-ズ、また、里山での出来事など、私にとっては未知の世界なので、興味深く拝見しています。世界飲んだくれ紀行も楽しみにしています。

by 雀翁 (2011-11-24 08:28) 

Michikusa

ブログを始めたのは、知り合いがやり始めたのを知って「それ、なに?」的な興味半分でした。
最初は日記的なことを書いてたけれど、世界中に個人情報が漏れるのは嫌だな・・と思って、当たり障りのない程度に押さえて書くようになりました。
記事に使う写真を撮っているうちに他のブロガーさんのプロ級の写真にたくさん出会い、気がつけば写真にはまっていたのですが、コメントをいただくことで続いているのは事実です。
コンテストに出すほどのものではないけど、誰かに観て欲しい。そう思ってもうすぐ6年経ちますが、自分で過去記事を見返してみると、その写真を撮った時の自分の生活の状況や気持ちまでもが蘇るんですよ。文章を添えてなくても、これはもう日記そのものだなって最近思っています。
ただ、最終的にアップした記事をどうしようか?と考えることがあります。消してしまう勇気がない・・というか・・・
でも、いつかは止めると思うんですよ。どうしたもんか・・
by Michikusa (2011-11-24 13:56) 

mee

始めるきっかけは何にしろ、続けようと思えるものは続けられたほうがいいんじゃないかとっ^-^そして楽しむことが出来たらなおのこといいんじゃないかとっ^0^*
私は雀翁さんとブログで出会えてよかったと思いますから♪
by mee (2011-11-24 16:16) 

collet

人夫々に、ブログについてもいろんな考えがあるでしょうが、
雀翁さんが言うところの、
キャッチボ-ルの楽しさを感じて続けてる方が大半ではないでしょうか?
勿論、わたしもそうなんですけどね~(^_-)-☆

で、それは屁理屈でも何でもいいのでは?
とにかく直球だろうが、カーブだろうが、ナンなとホッタッて~~(^o^)/
by collet (2011-11-24 17:13) 

雀翁

Michikusaさん、

Michikusaさんの写真は大好きです。善し悪しはわかりませんが、「見たいな」と感じる写真を掲載されていると思います。写真に関するコメントや、写真とはまったく関連のないコメントも、落ち着きがあってしっとりしていて、いつも楽しませていただいています。

>最終的にアップした記事をどうしようか

私も考えたことがあります。答えは見つかりません。

by 雀翁 (2011-11-24 17:56) 

雀翁

meeさん、

そうですね。
やめる気はないのですが(今のところ)...
meeさんの写真と簡潔な詩、てても素敵です。
タイに6年間住んでいた私は、どこかしら親近感を感じます。うちでは、次の旧正月にはプ-ケットに行こう、という話しが出ています。ナイハン・ビ-チの並に揺られ、砂を歩きたいな...

by 雀翁 (2011-11-24 18:00) 

雀翁

colletさん、

私には球種が一つしかありません。山なりのドロンとした球です。それを直球と言うか(変化球ではないので)、カ-ブと言うか(重力によって放物線状にたてにカ-ブしますから)、ま、見方によります。また屁理屈を並べてしまいました。

韓国映画関連記事には、よう着いていきませんが、今後ともご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。

by 雀翁 (2011-11-24 19:22) 

ももんが

ボールは投げたい時に投げて、投げたくない時は投げなくてもよいのだと、私に教えてくださったのは雀翁さんですよ。
私はともかく、雀翁さんの温かい人柄は訪問している誰もが感じていることですし、ボールを投げないからといって、受け手がいなくなるのではないと思いますよ。
少なくとも、私は毎日訪問させていただいてます。
ゆっくり続けてくださるとうれしいです。

by ももんが (2011-11-25 00:49) 

雀翁

ももんがさん、

そうでしたね。言うは易く行なうは難し。私と言う人間の薄っぺらさが透けて見えるようでお恥ずかしい限りです。自分でも知らない間に、記事をアップしない時間が過ぎていって、ふと、「あれ、どうしたんだろう?」と思ったんです。
ももんがさんの奮闘ぶり、ちびももちゃんの数々の冒険と成長、いつも楽しみに読ませていただいています。

by 雀翁 (2011-11-25 08:30) 

COLE

私はマイペースでよいと割り切っていますが
コミュニケーションがあるほうが楽しいですね

by COLE (2011-11-26 18:34) 

雀翁

COLEさん、

そうですね。今回の記事に対するみなさんのコメントから、大事なことを思い出しました。

>マイペ-スで
>ボールは投げたい時に投げて、投げたくない時は投げなくてもよい

気が楽になりました。

by 雀翁 (2011-11-28 08:37) 

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