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10月~11月の読書 「剣岳・点の記」、「フェルマーの最終定理」など [本]

慌しい2ヶ月だった。お客さんが3組来られ、仕事が大きな山を向かえた。父の49日の法要があり、私自身にもちょっとしんどい事があった。ふと、それらから距離を置き、Reading glass(日本名 老眼鏡)を相棒に、ソファによっかかって一人本を開く。そんな時間は砂漠のオアシスのように心に潤いをくれる。


「家族の言い訳」、森浩美
「フェルマーの最終定理」、サイモン・シン
「小夜しぐれ(みをつくし料理帖)」、高田郁
「剣岳・点の記」、新田次郎
「魔法のことば」、星野道夫
「酒にまじわれば」、なぎら健壱
「死の壁」、養老猛司
「Story Seller」、 新潮社編集部


「家族の言い訳」、森浩美
「こちらの事情」という、本編の続編のような位置づけの本を先に読んでしまっていたので、この本のお話しもすんなり心に入ってきた。安い歌謡曲のようなスト-リ-と言えなくもないが、そこにはある種の「家族だから言えない、家族だから言ってしまう、家族だから許せない、家族だから...」という共感ができるものがある。人間皆それぞれ、自分の価値観に基づいて生きている。他人であれば、価値観の違いは単なる違いとして気にもかけないだろうが、いっしょに暮らしている家族との価値観の違いは、時として許しがたいものと感じてしまう。母親にきれいになってもらいたいと幼い息子が無理をして貯めたお金で買った口紅。母親はそれを一度つけたきりで、「もったいないから」とずっとお守りのように持っていて、年老いてこの世を去ろうとするとき、棺桶の中に入れてくれと頼む。どちらにも理があり心がある。河島英吾の「てんびんばかり」という歌を想い出しす。

>どちらも もう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんて おかしいよ


「フェルマーの最終定理」、サイモン・シン
3世紀以上に渡って証明することができなかった、中世の数学者フェルマーの書き残した数学の定理。フェルマー自身は証明済みとしているが、単に書く余白が十分でないという理由でその証明は残されていない。フェルマーが残した定理のほとんどが証明される中、幾多の数学者が挑み、証明することのできなかった最後に未証明の定理、それがフェルマーの最終定理だ。この本は、数学の歴史的考証から始まり、フェルマーの最終定理の出現、そして、それが数年前に証明されるまでのエピソードを語るノンフィクションである。この本は、数学のことを扱っているにもかかわらず、数式や関数の難しいことは何もわからないでも読める歴史物語だ。そしてお話の中には、素数、完全数、友愛数、など楽しい話もたくさんある。

北海道で黒い羊を見たとする。その時、私たちは何と言うだろう?
  1. 「北海道の羊は黒いんだね」
  2. 「北海道には、黒い羊もいるんだね」
  3. 「北海道には、少なくとも一頭以上の黒い羊がいるんだんね」
もし、3番目の答えに違和感がなければ、この本は読むに値すると思う。

中学・高校と私たちはたくさんの証明問題をやらされた。実際、証明ができた時、それは、感動的でさえある。なぜなら、数学的証明は、一点の疑問を挟む余地のない、完璧なものだからだ。現実社会において、そのような一点の曇りもないことなど、ほとんど存在しない。どこか、不確かさや、あやふやさが存在する。数学の世界は、すきっと晴れ渡った秋空のようである (もし、理解できれば...)。


「小夜しぐれ(みをつくし料理帖)」、高田郁
シリーズ5冊目。ますます安定し、そして少しどきどきさせてくれる。安心して読める本だ。身分の違い、年齢の違い、貧富の違い、それを乗り越えさせる「おいしいごはん」の力。改めて、「食べる」ということが人生の根幹であることを思い知る。動物は生きるために食べる。人間はさらに、満腹感だけではなく、食べるということから幸福を感じることもできる。「おいしい」、その一言が相手を、自分を幸福にする。桜の季節、花見の宴にあえて出された菜の花づくし。鮮やかな黄色が緑が目に浮かぶようである。


「剣岳・点の記」、新田次郎
タイで知り合ったSさん(妻の友人)が、ソウルの我が家へやってきた。話の中で、Sさんが、俳優・香川照之の歌舞伎転身も話をし、彼が出た映画「剣岳・点の記」がとてもよかったので機会があれば是非見るようにと勧めてくれた。その翌週、父の49日の法要で、実家に帰ったとき、父の本棚に、「剣岳・点の記」を見つけた。ずいぶん古い本で、確か一度読んだ記憶があるようなないような...その横には、「八甲田山 死の彷徨」(新田次郎)もあった。何かの縁だと思って、その本をもらって帰り読んだ。新田次郎にはいい本がたくさんあるが、私にとっては過去の人で(以前たくさん読んだ)、最近著者の本から遠ざかっている。簡潔で切れのよい文章が、困難な「剣岳」への登頂を綴っている。陸軍からの圧力、山岳会との競争意識、地元の山岳信仰との軋轢、傲慢な県職員のいやがらせ、そして天候の壁...様々な要素が、地図の測量隊が「剣岳」の頂上に立つ障害となる。そして苦労の末「初登頂」だと思っって立った山頂には、数百年前のものであろう朽ちた剣などがあった。この物語は、「剣岳」の困難さとともに、「初登頂」の意義も考えさせられる。お気楽ハイカ-の私には、「初登頂」など考えもしないことだが、クライマ-たちにとって、名を残すと言うことは大きな意味があるのだろう。


「魔法のことば」、星野道夫
このところ、星野道夫の本を頻繁に読んでいる。彼のアラスカでの生活に基づいた話は、私を魅了してやまない。「魔法のことば」は、彼の講演集である。彼はいろんな所に呼ばれて講演している。そしてこの本は、彼の没後、彼の意思とは無関係に関係者によって出版されたものだ。彼がこの本を出したかったかどうか、私にははなはだ疑問である。
関係者の前書きに、この本は一度に読まず、一編ずつ、一週間くらいの間をとって読むのがいいとあった。何のことかわからなかったが、読み始めてすぐにその意味がわかった。彼の講演はいろんな場所でしているので、そのたびに聞く人は違う。しかし、講演内容には大きな重複がある。10回以上の講演を集めたこの本の、各講演の内容の大元は同じである。それはまるで、同じ歌を同じ歌手が、多少違うアレンジで、10回録音した物を集めたCDと言うようなものである。そんなCDを買うのは、よほどのファン以外になく、CDそのものの客観的価値は、決して高いとは言えないだろう。お勧めにしたがって、ちょっと時間を置きながら読んだが、さすがに5回目くらいでいやになった。どんなにいい話でも、5回聞かされたらいやになる。どういう経緯でこの本が出版されたかわからないが、残念ながら、「利益」の追求以外に出版理由は考えらない。その意図はなくても、著者を貶める結果になっているのではないかと思う。残念だ。


「酒にまじわれば」、なぎら健壱
なぎら健壱による、酒に関する与太話エッセイ。大変面白く、後に何も残らないのがいい。私にとってなぎら健壱は「葛飾にバッタを見た」(だったかな?)を歌った人であり、それ以外の何者でもない。彼のことはほとんど知らないが、その名を聞くと、なぜか佐藤蛾次郎のヴィジュアルがイメージされる。そして、小室等のライブ・レコ-ドに

>そのころ 陽水のギャラが1万で僕が2万でした、はっきり言って倍です
>まあ、陽水君もがんばってくれたまえとか言ってると ほんとうに頑張っちゃって
>一時は1000倍、1000万というギャラを取るようになって
>それでこのニュース(陽水が麻薬で捕まった事件)...
>「うぇっ、陽水が捕まった? なんてことをするのかな」という言葉の裏腹に...
>「ざまあみろ」、これは働くもんでございます人間として...

というMCで参加?している人である。なぎら健壱恐るべし。酒を飲むのもほどほどにしなければならないと深く思う今日このごろである。


「死の壁」、養老猛司
「バカの壁」にはあまり感銘を受けなかったが、この「死の壁」は興味深く、とても納得のできる話だった。
何かをしでかして、「あの時の私は本当の私ではなかった」などという在りがちなコメントを痛烈に論破する。あの時の私も本当の私であり、今、「あれは本当の私ではなかった」という自分もほんとうの私なのである。自分さがしに行こうとするのも本当の私なら、さがしたあと何もなかった嘆くのもほんとうの自分である。
私は、「死後」というものを観念的にとらえられない。そこから続くものはなく、いわゆる「The End」なのだと思う。死後の世界とかいうものは、生きているものが勝手に想像する世界であって、それは存在しないと思っている。死んだ人は、なくなったのであって、その人自体の存在はなくなる。ただ、その人が存在したという、他の人の記憶や記録のの中にのみ、存在し続けるのだと思う。
著者は「死」のタイミングは、社会的なもの(それぞれの社会が容認している概念)が決めるという。それは、「死んだ人」にどのタイミングで「村八分」を宣告するかを決めるル-ルのようなものだと。戒名を与えて、生きていた時と違う名前で同じ人のことを呼ぶことは、すなわち自分たちの社会から死者を村八分にすることなのだと...だから、脳死の問題も医学的には決められず、社会的に決める事柄だと。
もう一度読み返したい本である。


「Story Seller」、 新潮社編集部
伊坂幸太郎、近藤史恵、有川浩、米澤穂信、佐藤友哉、道尾秀介、本多孝好の7人の作家によるオムニバス、中短編集。どの作家の作品も斬新で楽しい。中でも有川浩の「スト-リ-セラ-」は、ありえない内容ながら、楽しく読めた。「阪急電車」と同じような温度を感じる。この様な本を買って、読んだことのない作家に出会うのもいい。近藤史恵、米澤穂信、佐藤友哉は始めて読んだ。米澤穂信はまた別の本を買いたいと思った。

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collet

先日、料理好きのお客さまに、みをつくし料理帖を5冊お貸ししたら、
案の定、ハマってしまい、巻末付録のレシピを元に、
ご自分でも作ってみるとおっしゃってました。
ご相伴にあずかれるかもと楽しみにしています~(#^.^#)

それから、「剣岳・点の記」は原作も読み、
映画も観ましたが、Sさんのおっしゃる通りに香川照之、良かったですよ!
ぜひ!いつかご覧くださいませ~~(^o^)/
by collet (2011-12-17 17:15) 

krause

雀翁さんの本の紹介を、いつも参考にさせて頂いています。新田次郎の「剣岳・点の記」に食指を動かされました。

「フェルマーの最終定理」を読んでみようという気持ちになりました。因みに、新田次郎のご子息である藤原正彦氏は、数学者ですね^^。

星野道夫は、雀翁さんに教えて頂いてからその魅力がわかりました。

by krause (2011-12-17 17:51) 

雀翁

colletさん、

「みをつくし」ははまりますね。私は、料理を再現したいというとは思わない(あれは澪にまかせておきたい)のですが、心地のよさそうな「つるや」の飯台について、澪の作った料理をあてに、熱いのをきゅっとやってみたいと、かなわない夢を見ています。

「剣岳・点の記」の映画を見てみたいと思います。

by 雀翁 (2011-12-17 23:27) 

雀翁

krauseさん、

私の読んだ本は、別にお薦めの本ではなく、私が本屋ややアマゾンで対した意図もなく買っている本なので、当たりもあればはずれもたくさんあります。

ああ、あの藤原正彦氏は新田次郎のの御子息なんですね、知りませんでした。数学の深いところはわかりませんし、理解もできませんが、なぜか数学の世界は大好きです。

星野道夫は、なんというか、その生き方にあこがれてしまいます。何週間も、カリブの移動を求めて、たった一人でアラスカの山の中にいる姿を想像すると、涙が出て来そうになります。

by 雀翁 (2011-12-17 23:33) 

COLE

星野さんの本は一度読みたいと思っているのです
ちょうどこの機会に買ってみようかな
by COLE (2011-12-17 23:34) 

ももんが

相変わらず、読まれる本のジャンルが広いですね。見習って、もっとたくさんの潤いを実感できたら・・・と思いました。
私には普通の図書館・弟図書館・父親文庫があるのですが、父もいろいろな本を読んでいて、これがまた、どれも面白いのです。ちょっとした古本屋をできそうなくらい本がありますから。
最近見ていたら、「死」とか「離婚」がテーマの本が増えていましたt。
母は「最近こういうの多いのよ!」と笑っていました。年齢・職業柄などいろいろ影響してるのでしょうが、私にも興味深い本が多くて、やはり親子だなあと思ったりしました。
弟図書館から借りた本はまだ読破できていません。自分でも本を買ったり借りたりするので、そちらに手が回らない・・・という感じです。11月に借りて、お正月に返すと約束したのですが、期限延長を願い出ないといけないかもしれません・・・^_^;
by ももんが (2011-12-19 08:53) 

雀翁

COLEさん、

星野道夫の本は、心を洗ってくれるようです。また、写真も美しく、いつかアラスカに行ってみたいな思います。

by 雀翁 (2011-12-19 12:56) 

雀翁

ももんがさん、

図書館が3つもあるとはうらやましいです。それぞれの図書館が、異なった収集癖をもっているでしょうから(町の図書館には癖がないかもしれませんが)、それだけでも楽しいですね。私は残念ながら、自分の購買に99%頼らざるを得ません。

前は、作家を絞って読み込んでいたのですが、ここ10年ほどは、ばらばらと手当たり次第です。何かを深く考えようとか、極めようという真摯な気持ちがありません(基本的にぐうたらなのです)。でも、そういう読書は、とても気楽で楽しいです。

by 雀翁 (2011-12-19 13:02) 

mee

あぁ、、なぜnice!を押してしまったのか・・・本を読まないこのわたしはなんて失礼なことを、、
どうしたら好むようになるのか。。。読み出すと寝てしまいます、、--;
by mee (2011-12-19 19:52) 

雀翁

meeさん、

無理に読まなくてもいいんじゃないですか。
私もナイハンビ-チに寝っ転がってると、3ペ-ジほどが限界です。肌の白い人たちが、ずっと読み続けているのがとても不思議です。

by 雀翁 (2011-12-20 08:41) 

Michikusa

引き続き、活字離れ中です・・・。^^ゞ

私の最近の記事に朝写真が続いているのは、他の写真を全く撮っていない・・・というだけの理由です。ちょうど着替える時間に窓の外を見ると朝日が昇る前なので、反射的に撮ってしまいます。私の寝室の窓が東を向いているせいでもあります。
by Michikusa (2011-12-20 09:36) 

雀翁

Michikusaさん、

なるほど、「西陽だけがはいる 狭い部屋でひとり...(布施明.)」でいると、夕日の写真になるわけですね。ああ、でも冬至ももうすぐで日が落ちるのが早く、それまでに家に帰れませんね。

by 雀翁 (2011-12-20 17:49) 

葵ママ

現在、“朝起きられない。馬鹿みたいに昼間も寝まくる”という状況になってるため、日々の暮らしを維持することで手一杯で読書になかなか時間を回せません。更には、年を越すと馬鹿息子の大学受験がぁぁぁぁ

あ、でももしかしたら遠方へ受験旅行に行くかもしれないので、その時は何冊か持って行こうかな。待ってる間が手持ち無沙汰ですからね。
by 葵ママ (2011-12-21 08:48) 

雀翁

葵ママさん、

気が向かないときは、本は開かなくていいんじゃないですか。「読まなくてはならない」理由は特にないわけですから。私も、集中できないときは、本は読めません。読み出して2~3分もすると、気持ちが読書モ-ドかどうかわかります。

ああ、次男君、いよいよ勝負の時がくるんですね。本人も大変でしょうが、周りも大変でしょうね。母子ともども、体調管理を万全に...

by 雀翁 (2011-12-21 12:02) 

mint_tea

こんばんは。相変わらず丁寧かつ多様な読書ぶり、感心しています。
「フェルマーの最終定理」、3番の答えに違和感あった凡人かつ数学嫌いの私には難しそうですね。「剣岳・点の記」は読みました。映画は、ちょっときれいに描かれていたような気がします。息子さんも有名ですが、新田次郎さんの奥様、藤原ていさんの作品も良いですヨ。「死の壁」読んでみたいです。
by mint_tea (2011-12-27 22:49) 

雀翁

mint_teaさん、

いえいえ、相変わらずの乱読です。
うちの妻は、すでに2番の答えに違和感を感じるようです...
藤原ていさんの本、今度ちょっとのぞいて見ます。

by 雀翁 (2012-01-02 19:14) 

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