SSブログ

12月の読書 ぼんやりの時間、夢をかなえるゾウなど [本]

12月に入ってやたら気温が下がり、マイナスを記録するようになった。雪が降り危ないので、もう山にも行けない。ソファ-と熱いコ-ヒ-にチョコレ-ト、そして本があれば、私は冬眠ならぬ冬読を楽しむことができる。


「君を乗せる舟 髪結い伊三次捕物余話」、宇江佐真理
「東海道五十三次」、山下清
「テルマエ・ロマエ 1~3」、ヤマザキマリ
「ぼんやりの時間」、辰濃和男
「とりつくしま」、東直子
「嘘をもうひとつだけ」、東野圭吾
「夢をかなえるゾウ」、水野 敬也


「君を乗せる舟 髪結い伊三次捕物余話」、宇江佐真理
久しぶりにこのシリ-ズを読んだ。肩のこらない時代小説。今回は少年たちの大人への脱皮。武士階級の子弟は、元服をして前髪を落とす。きっちりした大人の世界への出発の儀式があった。この大人とは、たぶん「自分で責任を取る」ということだろうか。その方法や形式はともかく、通過儀礼として意義のあることのように思える。現在日本では、法律によって、20歳の誕生日がそれに当たる。しかし、それは事務処理としての法律的のそれであって、一人一人にその覚悟が出来ているとは思えない。また、成人式には元服のようなピンと張った緊張感はない。人が大人になるのは、その数字としての年齢ではなく、覚悟の如何が問われるように思う。ほのかに思った人の花嫁姿を乗せる小船を、橋の上からそっと見送る、そうやって少年は大人になって行くのかも知れない。


「東海道五十三次」、山下清
11月、我が家に来てくれたFさん夫妻のお土産。来韓前に美術展に行って、買ってくださったそうである。山下清といえば、ずいぶん前に日曜の夜、芦屋雁之助主演のTVドラマで見たような記憶がある。貼り絵の画家と言う印象を持っていたが、この本は、ペンのスケッチだ。いわゆる企画もので、編集者とともに東海道五十三次の街へ出かけ、そこの風景を描く。それぞれ一片の彼のコメントとともに、五十三のスケッチが一冊の本になっている。絵の良し悪しはまったくわからない。でも、好きだと感じる。彼の短いコメントは楽しい。時々、この宿場には描くべきものがあまりないなどと、正直な感想を述べている。また、彼自身が「ルンペン」として訪れた当時の思い出話もとても楽しい。コメントの語り口が、TVのドラマで見たのとほとんど同じなので、読んでいると芦屋雁之助の声が聞こえてきてしまう。ただ、山下清がこの企画に乗り気でないような雰囲気が漂っていて、ちょっと切ない。


「テルマエ・ロマエ 1~3」、ヤマザキマリ
いただきものが続く。この本は10月末、我が家に来てくださったSさんからいただいた。しかも、日本に戻られてから、わざわざ、「これ、今私が嵌ってるもの」と、黒砂糖のお菓子とともに送ってくださったのである。黒砂糖のお菓子はとてもおいしかったので、あっという間になくなり、この3冊の本がしばらく本棚にくすぶっていた。よくわからないコミックだが、基本的に「ロ-マ時代の浴場の設計士が、現代日本の銭湯や温泉にタイムスリップして来て、ロ-マの浴場建設のヒントを得る」という展開である。コミックは久しぶりに読んだ。スラムダンクを何回か読み返したあとは、とんとご無沙汰している。著者自身、ローマ帝国に造詣の深い?イタリア人と結婚しているので、そのあたりの知識は深いのであろう。スト-リ-に出てくる、当時のロ-マ市民の浴場に対する大変な思い入れがなんだか不思議だ。しかし、古代遺跡でよく「浴場の遺跡」などがあることを思うと、ひょっとして、古代ロ-マ人は、大変な風呂好きだったのかも知れない。私は毎日シャワ-で済ませ、「浴槽に浸かる」ということは温泉にでも行かない限り縁のない生活をしている。お風呂に対する思い入れもたいしてない。水圧のしっかりしたシャワ-があればそれで満足だ。面白い本だが、続きを買いたいとは思えない。コミックはすぐに読めてしまうので、それにかける時間に対し、物理的な重さや体積がかなり大きい(要はかさばる)という不都合があるからである。


「ぼんやりの時間」、辰濃 和男
元新聞記者の著者がぼんやりする時間を持つことが以下に大切であるか、また有意義であるかを説いた本。「ぼんやり」が「有意義」というと逆説的だが、この本の例に上げられているように、たくさんの著名人が、人生において「ぼんやりする時間」の重要性を熱く語っている。特にクリエイティブな仕事をする人にはそれが欠かせないと。例えば、池波正太郎は、散歩を日課としており、2~3時間ぼんやりと歩いたのだそうだ。ある日、川の流れを見ていたら知らぬ間に2時間経っていたとか...私たち小人はぽんやりすることがどうも苦手である。何かをしていないと落ち着かない。「こんなことをしていてはいけないのではないか」とあせってしまう悲しい習性を持っている。「ぼんやりする」いうのは「何もしない」とは同義語ではない。確かに、高さ50mのつり橋の上ではぼんやりすべきではないだろうし、一生を賭けた資格の試験中にもぼんやりすべきではない。でも、山を歩いていてもぼんやりできるし、座禅を組んでいてもぼんやりできるだろう。もちろん南国のビ-チに寝そべってぼんやりすることも出来る。要は精神を解放する時間を持つということだろう。この夏、カナディアン・ロッキ-でガイドをしてくれたIさんが、「山を歩いていると、それもけっこう急な上り坂を歩いていると、歩くことに集中して心が空っぽになるんです。それがとてもいいんです」と言っていたのを思い出す。大いに納得できる話しである。


「とりつくしま」、東 直子
死後、時間を限って現世に戻ることを許される、誰かの身体に乗り移るなど、死後の「もし」をテ-マにした作品は多い。浅田次郎の「椿山課長の7日間」などはその代表作だろうか。仏教の輪廻思想でも、生まれ変わってまた何かになる。ただこれらすべて、死後または生まれ変わってなるものは、「生物」限定である。生まれ変わって貝になることはあっても、主のいない貝殻にはならない。輪廻で、前世は便器の蓋でしたというのは聞いたことがない。さて、本編、「とりつくしま」は、死後、「非生物」限定で何か物体に取り付くことができるという設定である。何故「非生物」かというと、生物にはすでに先住の魂が宿っているから無理との説明だ。中学生の野球部ピッチャ-を息子に持つ母親は、死後、「とりつくしま係り」の担当官に、息子の最後の試合のマウンドのロージンにとりつきたいと願う。憧れの人のリップ・クリ-ムにとりつく女の子もいれば、義理の息子に買ってやったカメラにとりつく老婦人、残した妻の日記帳にとりつく夫もいる。それぞれのエピソ-ドが、楽しい。さて、こういう本を読むと、「自分なら...」と考えるのが人情である。そこで、「自分なら...」と考えたが、正直、何も思いつかない。すでに子供は独立し、少なくとも残された家族が経済的にやっていける道筋はできつつある。物に執着もない。その時が来たら、この世からきれいさっぱり消えてなくなりたいと思うのである。「ゲゲゲの女房」の父親が、「ああ、もう終わりか、面白かった」と旅立って行ったように。やり残したことがたくさんあっても、タイムアップはタイムアップだ。「とりつくしま係り」は、現世に未練を残した人だけに声をかけるということだから、私には声がかからないだろう。


「嘘をもうひとつだけ」、東野圭吾
久しぶりに東野圭吾の本を読んだ。ずんずん読めて、あっという間に残りペ-ジがなくなってしまい、もうちょっと読みたいなと思った。物語は、刑事加賀恭一郎のシリーズ物の短編集である。どの編にもしっかりしたトリックがある。でも、ミステリ-を読むとき、私にとって最も大切なのは、納得できる動機である。どんなに巧妙なトリックがあろうと、「そんなことで人は殺さんやろ」と思ってしまうと、もう読めなくなってしまう。もちろん、「人を殺したいと思う理由」は人それぞれで、現実の社会でも「そんなことで人の命に手をかけるのか」という事件はよくある。最近ではほとんど理由のない殺人が珍しくなくなってきている。非常に悲しいことだ。でも、小説として読ませる以上、そのあたりはきっちりとして欲しい。納得できる動機...つくづく人は勝手だと思う。ところで、加賀恭一郎の被疑者に対するアプロ-チが刑事コロンボのそれに重なって見えるのはわたしだけだろうか?


「夢をかなえるゾウ」、水野 敬也
バンコクに住んでいた時、会社の近くの四つ角にゾウの顔を持つ神様(エラワン)が祀ってあった。毎日たくさんの人がお参りに来て、花や踊りを捧げていく。
さて、この「夢をかなえるゾウ」の主役?はガネ-シャというゾウの顔を持つ神様である。たぶんヒンズ-教系の神様だろう。この神様が、自分の境遇に不満を持つ、でも実行力のないあきらめの早いサラリ-マンに、自分を変え・成功へと向かう方法を指導していくフィクションだ。めちゃくちゃおもしろく、かつ、何度もうなずかされる。読み終わったとたん、また最初から読み返すという経験を始めてした。2度読んでもおもしろい。そして面白いだけでなく、ためになる、ような気がする。私はいわゆるビジネス書がきらいなのでよくわからないが、たぶんこの本に書いてあるようなことが細かく説明されているのだろう。そういう意味で内容的に新しいものではない。でも、やろうと言う気にさせてくれる本だと思う。成功への第1ステップは、「靴を磨け」である。「何故?」、誰もがそう感じる。本の中の青年も疑問に思い質問する。するとガネ-シャはあのイチロ-の例を出し自分の商売道具を大切にする理由をのべる。第2ステップは、「コンビニのお釣りを寄付せよ」である。「何故?」、思って当然である。すると、今度はロックフェラ-の例を出してくる。関西弁に違和感のある人にはちょっときついかも知れないが、そうでなければ、きっと楽しく読める本だと思う。

1つ明確なのは、行動しなければ何も変わらないということ。

nice!(11)  コメント(14)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 11

コメント 14

ももんが

>1つ明確なのは、行動しなければ何も変わらないということ。

本当にその通りだと思います。しない言い訳、できない言い訳を考えている間に、何かしらできるんだと最近よく思います。「夢をかなえるゾウ」読んでみたいと思います。
あと、推理小説の殺人の動機、小説くらいしっかりしてほしいということに同感です。
by ももんが (2012-01-14 17:14) 

COLE

今年は少し多めに本を読んでみようと思っています
何冊になるかな
by COLE (2012-01-14 22:28) 

collet

ソウルも随分寒そうですね!
そりゃ、そうなると山歩きよりも冬読の方が安全だし暖かいしでイイですね!

「夢をかなえるゾウ」原作は読んでませんがTVドラマであり、
面白いタイトルだな~と思いながらチラ見しました。
で、その神様を古田新太が演じていたのですが、
今、雀翁さんの記事を読んでても、
彼にピッタリな役柄だと納得してしまいました~~(*^^)v
by collet (2012-01-15 11:54) 

雀翁

ももんがさん、

面白いのであっという間に読めてしまいます。ただ、それで分ったような気になってしまうのが人間の恐ろしいところです。韓国の古い言い回しに、「一歩踏み出すことはすでに旅を半分終えたようなものだ(ちょっと違うような気も...?)」というのがあります。

そうですね。トリックにばかり心血を注いだ推理小説は、どうも好きになれません。

by 雀翁 (2012-01-16 08:33) 

雀翁

COLEさん、

楽しく読めるといいですね。

by 雀翁 (2012-01-16 08:34) 

雀翁

colletさん、

冬は脂肪を貯める季節です...が、山歩きはできなくても、重装備で午後、一番暖かそうな時間帯に公園歩きをしています。

TVでやったんですか?古田新太はいったいどんなゾウの顔を持つ神様になったんでしょう?あの役は、厚顔無恥?(少なくとも役の上)で、大阪弁が非情に達者な人でないと務まらないように思います。

by 雀翁 (2012-01-16 08:50) 

Michikusa

「夢をかなえるゾウ」のドラマは見たことがあります。
すごくおもしろくて、原作を読みたいと思っていたことを思い出しました。
by Michikusa (2012-01-17 09:00) 

雀翁

Michikusaさん、

そのドラマ、見てみたいものです。特にガネ-シャのビジュアルとセリフ回しが気になります。
原作もおもしろいですよ。

by 雀翁 (2012-01-17 09:04) 

krause

どの本も興味深いですが、特に「ぼんやりの時間」に食指を動かされました。
by krause (2012-01-17 12:55) 

drumusuko

できるだけ外で運動やジョギングをするよう心がけておりますが、冬はどうしても家にこもりがちですよね。私も、読書や写真整理などに時間を費やしております。
by drumusuko (2012-01-18 16:08) 

雀翁

krauseさん、

私も「ぼんやり」にあこがれている?ので、納得出来る本でした。実際、ぼんやりするのは簡単ではなさそうです。

by 雀翁 (2012-01-19 18:28) 

雀翁

drumusukoさん、

会社の往復4kmを歩くことと、休日は10,000歩以上のWalking をすることにしています。ただ、冬の間は変化が乏しいので、同じ公園に毎週行くのもちょっと飽きてきます。

by 雀翁 (2012-01-19 18:31) 

mint_tea

「とりつくしま係り」さんは、必ずや私のところに来てくれることでしょう。
「嘘をもうひとつだけ」は読みました。ほんとサクサク読みやすいのにホロリとくるところもあっていいですよね。図書館の書架には東野さんの本ほとんどありません(どの本も長~い予約待ち)。「夢をかなえるゾウ」読んでみたいです!!
by mint_tea (2012-02-05 21:12) 

雀翁

mint_teaさん、

図書館がある生活ってほんとうにあこがれます。「どれにしようかな? 今週はこれ、来週はあれ...」って。 私には「買う」という手段しかなく、そして買うからには、選んでしまいます。もっとたくさんの作家と出会いたいけれど、買って自分との相性がよくないとがっかりするので、レジに運ぶのは無難そうな作家に限られてしまいます。

物体に取り付くのってなかなか難しそうです。義理の息子に買ってあげたカメラに取り付いた老婦人は、そのカメラがすでに売却されてしまっていることを知ります...

by 雀翁 (2012-02-06 08:30) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。