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西部劇を見る、「夕日のガンマン」、「荒野の7人」 [映画]

> 拝啓 僕はとても残念でした
> あの日君がホワイト・ジ-ンでなかったことが
> スカ-トもいいけれど ホワイト・ジ-ンなら
> もっとかっこよかったと思います
> あの日の映画 ダ-ティ-・ハリ-はどうでした?
> 君はニュ-スの方が楽しそうだったけれど
> クリント・イ-ストウッドっていいでしょう?
> 今度も学割で見られたらと思います

(「加川良の手紙」、よしだたくろう)

クリント・イ-ストウッドと言えば、どうしてもこの唄が思い浮かぶ。思春期に何百回と聞いた唄の刷り込みは恐ろしい。この唄(もう40年近く前)に出てくるクリント・イ-ストウッドは、すでに「ダ-ティ-・ハリ-」になっているが、私は、先日、自慢?のホーム・シアタ-で、「夕日のガンマン」を見た。アマゾンで安売りをしているのに釣られて買ってしまったのだ。ダ-ティ-・ハリ-になる前、かつて、クリント・イ-ストウッドは、マカロニ・ウェスタンで名を売っていた。たぶんこの「夕日のガンマン」は、子供のころ、日曜映画劇場か水曜ロ-ドショ-などの夜9時からのTVで見たはずだ。しかし、それはただ「見た」という記憶があるだけで、内容に関してはよく覚えていなかった。

約2時間、目が離せなかった。圧倒的なスト-リ-の展開と音楽。特殊効果など何もないが、人間の泥臭さが描かれ現実味があった。抜群のエンタ-テインメント性を持った映画だ。「勧善懲悪」、「正義」、「復讐」、「ヒ-ロ-」、とてもわかりやすい。たぶん日本語タイトルの発想の元になったと思えるラストシ-ン、決闘を終えたサブ・ヒ-ロ-(リー・ヴァン・クリ-フ)が夕日に向かって去っていく。西部劇のエンディングには夕日がよく似合う。でも、それを見送るヒ-ロ-(クリント・イ-ストウッド)のバックはなぜかピ-カンの青空。でも、おおらかな?イタリア人の監督はそんな小さな矛盾?は気にしないし、人が撃たれて血が出なくても全然OKなのだ。少なくとも黒澤明の映像的影響は受けていない(と思える)。

さて、この映画のタイトルは、邦題「夕日のガンマン」だが、オリジナルは「For a few Dollars more」だ。題名どうし、まったく繋がらない。前作の邦題「荒野の用心棒」のオリジナル・タイトルは「A fistful of Dollars」だ。映画配給会社の苦労の後が偲ばれる邦題である。「もう少しの金のために(直訳)」では、観客は集められそうにない。日本人の好きな「夕日」と、なんとなくカッコ良さそうな響きを持つ「ガンマン」をくっつけて、「夕日のガンマン」。これなら売れる。 「朝焼けのエンジェル」というタイトルと全く同じ発想だ(ちなみにそのような映画はない...たぶん)。


翌週末、今度はあの「荒野の7人」を見てしまった。同じくアマゾンで釣られた。西部劇には「荒野」という響きが似合うようである(少なくとも題名として)。いわずと知れた、黒澤明の「七人の侍」のリメイク・ハリウッド版西部劇。ユル・ブリンナ-が250ドルでリメイクを撮る権利を買った(黒澤事務所から?)という。。盗賊に狙われた貧しい村、それをわずかな報酬で守るわけありの用心棒たち。村人と用心棒たちの溝がささいなエピソ-ドで少しずつ埋まっていく。村人の裏切り、盗賊の反撃、絶望する用心棒たち。それでも、正義の心はくじけず、すっくと立ち上がる用心棒たち、小さな恋の成就と大団円...わかりやすい映画で楽しめた。7人の中では、個人的嗜好として、その後の活躍などは無視して、この映画だけに限って、ジェ-ムス・コバ-ンとチャ-ルズ・ブロンソンが好きだ。特にジェ-ムス・コバ-ンがナイフを投げるシ-ンはかっこよすぎる。残念ながらこの映画でのスティ-ブ・マックイ-ンは、少し鼻につく。

二本の西部劇を見て、今さらながら、アメリカの銃社会を思わずにはいられない。西部劇の時代から幾星霜、今なお銃という殺人道具を一般人が所有することを許されている国。過去においてたくさんの原住民を殺してきた銃。近年、罪のない人たちが、その銃によってかけがえのない命を奪われていった。安全であるはずの学校で銃が乱射される。言葉を理解しなかった異国の青年も倒される。

「自分の身を守る権利」として許された銃の所持。表面的には銃のない社会に住む私たちには理解しがたい。

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「転々」 オダギリジョ-と三浦友和 [映画]

驚いたことにうちのアパ-トの部屋には、ホ-ム・シアタ-がもれなくついている。スイッチを入れると天井からガガ~っとスクリ-ンが降りてくるし(小型の銀幕)、天井には会社のプレゼンテ-ションに使うようなプロジェクタ-がついている。BOSEの6スピ-カ-DVDシステムで音響も抜群にいい。こんな部屋には2度と住めないだろう。

最近、このシステムで映画をよく見るようになった。つい最近見たのが、オダギリ・ジョ-と三浦友和主演の「転々」だった(どういうはずみか、Amazonで買った)。妻を殺してしまった借金の取り立て屋の男(三浦友和)が、自首するために霞ヶ関の桜田門(警視庁)まで歩いて行く。それに、借金を取り立てられる側の若者(オダギリ・ジョ-)が付き合わされるという、意味不明の設定だが、映画はとても面白かった。見終えた後、「なぜ、三浦友和はぱっとしないのか(あくまでも個人的印象として)」というワイドショ-のような話になった。「ぱっとしない」というのは妻の見解で、私もそれを否定する根拠を持っていなかった。出身やバックボ-ン(本人は言われたくないだろいうが、「百恵ちゃんの旦那」)から考えれば、北大路欣也、渡辺謙、寺尾聡、松平健などのような一枚看板になってもおかしくないはずなのに、なぜかぱっとしない。見た目は男前なのにちょっと影が薄く印象に残らない。「3丁目の夕日」にも出ていたが、さえない医者の役で、決して鈴木オ-トの社長の役は回ってこない。何故か?その答えを探していると、「メイキング」にヒントがあった。オダギリ・ジョ-へのインタビュ-で、「三浦友和は非の打ち所がない」というコメントがあった。たぶんそうなのだ、そこに問題がある。「非の打ち所がない」、これこそ、彼が超一流の俳優として名を残せない(勝手に決めてしまっている)理由なのだろう。くせのない人間なんて面白くもなんともない。くせや欠点が魅力的に見えてこそ、俳優としてのカリスマ性も出るのではないかと思う。三浦友和の物まねををする芸人は見たことがない。それに比べ、オダギリ・ジョ-のくせの強いこと。髪型は「ボブ・ディラン」のようにしたかった...平気で言っている。確かに、「Blowing in the wind」を歌った頃のジャケットには、そんなリ-ゼントのできそこないのような頭で写っているのもあるが。

自首する前の最後の食事に最も適した食事は何か? 映画の中、そんな問題が出る。「お鮨?」と答えたオダギリ・ジョ-に、三浦友和はすかさず、「それは出所祝いだろう」と応ずる。映画を見ているものはいっしょに考えさせられる。「カツ丼」は取り調べ中に出そうだし、「カルボナ-ラ」や「大根のシャキシャキ・サラダ」は場違いのような気がする。映画の中での正解は「カレ-」だった。そう言われれば、なんとなくわかる気がする。日本の国民食とでもいうべき「カレ-」。同じHウス・V-モンド・カレ-中辛のル-を使っても、各家庭で違った味や食べ方になる「カレ-」。「カレ-」を食べて自首する、そこには哀しみや切なさがあふれ、大変ふさわしいように思える(思えない人も多いだろうが)。「親に棄てられた」過去をもつオダギリ・ジョ-は、しだいに三浦友和と小泉今日子演ずる偽家族になじみ、味わったことのない家族の暖かさを感じるようになっていく。そんなとき、三浦友和が「今夜はカレ-が食べたいな」とつぶやくのである。家族みんなでカレ-を作るが、オダギリ・ジョ-はとても哀しい。カレ-を食べると三浦友和は自首してしまうのだ。みんなで食卓を囲んでカレ-を食べる。オダギリ・ジョ-は流れる涙をぬぐいながらカレ-を食べる。彼のこの演技(もし演技なら)は素晴らしかった。彼の心の中がよく現れた印象深いカレ-の食べ方だった。そして、桜田門の前、オダギリジョ-が風に飛んだ1万円札を追っている間に、三浦友和は横断歩道を渡り、警視庁の庁舎へと消えて行く。

この映画で作者が言いたいことは何か、次の中から選びなさい。
1) 罪を犯した友人には、カレ-を食べさせると進んで自首をする
2) 借金を払わないと、知らない親父の履くき古した靴下を食べる破目になるので、ご利用は計画的にする
3) 三浦友和は山口百恵との結婚によって役者としてのキャリアを半分あきらめた
4) カレ-をうまく作るには、みじん切りの玉ねぎを中弱火で飴色になるまで炒める
5) オダギリ・ジョ-とボブ・ディランは別人だ

私の言いたいことは何もない。

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娘の持ってきたDVD3本勝負 [映画]

3月も終わりに近いころ、娘がDVDを持ってやって来た。娘に会うのは、京都で高いフレンチを食べさせられて(払わされて)以来、4ヶ月ぶりである。別にDVDの配達のためにやってきたのではなく、親子とは言え、一宿一飯の恩義に報いる手土産として持ってきた(Tタヤのレンタルだけど)のだ。手土産と言いつつ、レンタル料を当然のように請求されたのはどうしても納得いかない。娘は、日中ずっと本来の来韓目的のために出ていたので、顔を見たのは、夜だけだ。3泊して帰っていった。ソウルに来る前日電話をすると、ちょうどTタヤにいるところで、「何か見たい映画はあるか」と聞かれたが、まったく何も考えつかなかったので、「おまかせ」で選ぶよう頼んだ。

週末、3本の映画を見た。


「おくりびと」

今更と言う気もするが、この高名な映画を見ていないので楽しみに見た。主人公やその周りの人たちが、だんだんとその仕事を理解し敬意を持つプロセスは、大変納得させるものがあった。「けがらわしい!」と叫んだ広末涼子が、そんな人々の変化を代弁するように、気高いものを敬うように、視線を柔らかく・暖かくしていくのが印象的だった。昨年父を亡くした家内には、自分が経験したことと重なる部分がたくさんあったようだ。

映画の始め、物語の流れとは関係のない1つのことに気をとられた。それは主人公が借金をして買ったチェロが1,800万円もするということだ。金額が高いというのもあるが、それを持って演奏旅行をするとなると、気になって仕方ないような思える。億を超えるバイオリンがあるのも知っているが、庶民の感覚で、1,800万円のものを常に持ち運び・使っているということに驚嘆する。寝ている時も、お酒を飲んでいる時も、リハ-サルの休憩時間にも、トイレにいる時も、とても気になるように思える。私が仕事をする上で使っているもので、一番高いものは何だろうと考える。たぶんPCだろうが、それは会社の資産であって私の持ち物ではない。計算機も携帯も会社からの支給だ。ペンは高くて500円くらいだし。しいて言えば、1万円ちょっとのA5判のシステム手帳だろうか。こんなものは、めったなことでは失くなったり壊れたりする心配はまずない(実際は、一度失くした)。これらのことを総合的に判断すると、私は自分がオ-ケストラのチェロ奏者には向いていないことを激しく自覚した。もちろん、バイオリン奏者にも。ホールに付属する楽器を使う、ピアノ奏者とかパイプオルガン奏者には向いているかも知れないが、鍵盤を1秒間に1つ以上叩けないのがネックになるかも知れない。

物語に沿って、私が考え続けたのは、どのように「おくられたいか?」ということである。この映画は、「どのようにおくるか」が主題であり、それに携わる人たちを描いている。父を目の前でおくった家内も、その意義を話してくれた。私も誰かをおくるときにはできるだけのことをしたいと思う。でも、私の心を捉えたのは、「自分がどうおくられたいか」という問いである。「死んだその場から出来るだけ早く火葬場に運び、灰にして欲しい」というのが私の長年の希望である。死んだ姿を人に見られたくないという思いも強い。しかし、人は死んだときから、自分に関する主導権を失い、かつて宿った肉体さえどうすることもできない。残ったものの手に委ねられる。それなら、残った人が困らないように、「こうして欲しい」程度のことは言い置き、あとは気の済むようにしてもらうのが「死んだものの勤め?」なのかも知れない。

漠然と定年退職したら二胡を習いたいと思っていたが、チェロもいいなと思い出した。どちらの楽器にもフレットがないのは大変不安である。


「みんなの家」

あまりに予想通りに物語が進むので???となった。複数の友人や家族親戚に物事を頼むと、きっとそうなるという典型の話だ。この映画では、家を建てるのに、デザインは大学の友人に、施工は父親に頼んだ。新進のデザイナ-と昔気質の棟梁である。対立と苦しい妥協の連続だ。象徴的な対立は、玄関のドアは外開きか内開きかという点だった。そこに風水に凝った母親まで絡んで、ますますこんがらがっていく。しかし、物語は方向を変え、あるエピソ-ドを通して、二人のプロフェッショナル(デザイナ-と大工)がお互いを認め合って行くという展開になる。私の頭には、ある曲のメロディ-が流れ始めた。

> ぼくらは位置について 横一列でスタートをきった~

NHK、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のテーマソングだ。、『プロジェクトX 』を引き継いだ形のこの番組も、この4月の番組改編でしばらく姿を消すことになるらしい。コメンテ-タ-の茂木健一郎の税金申告問題もあるのだろう。いい番組だっただけに、寂しい気がする。私は「プロフェッショナル」には、こだわりの頑固さと、したたかなまでのしなやかさが必要だと思っているが、この映画で描かれたのは主にこだわりの頑固さだった。

いつの日か、自分の家を持つべきか、ずっと借家暮らしを続けるかは、私にとって大きな命題である。映画の中では、「3軒目の家を建ててようやく納得できる」というようなことが言われていた。今から、3軒も家を建てられないのであれば、3回引越しをして理想の家を見つける方が理にかなっているようだ。


「ぼくのおばあちゃん」

菅井きんの演じるおばあちゃんがやさしく美しい。観客を泣かせるために作られたような映画だ。20年も前に亡くなったおばあちゃんからのビデオメッセ-を泣かないで見ることは大変難しい。家内には、菅井きんの顔が自分の父親に見えたと言う。「ぜんぜん違うやん」という娘の突込みにも、「いや、似てる」と言い張っていた。今の世の中、みんながみんな自分のことでテンパっている。家族であっても、お互いを支えあうのは簡単ではない。そんな中、おばあちゃんは必死に孫を守り、孫も病気になったおばあちゃんを一生懸命思いやる姿を描いたこの映画は、たとえそれがフィクションであっても、一筋の光を見せてくれる。子供は親の愛を必死に求めている。親が何らかの理由でその役目を果たせないとき、祖父母の登場となるのかも知れない。この映画では、父親は若くして逝ってしまう。父親の友人たちが、残された少年を慈しむ姿も大変きれいに描かれている。どこかの政党が言う、「社会が子供を育てる」という姿だ。その手法はお金を出すのではなく、手や口を出すのだ。「おまえはひとりじゃない。みんなが応援している」というメッセ-ジがずっと聞こえていた。

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お父さんは誰? マンマミア [映画]

年末、息子が来たとき、3本の映画(DVD)を持ってきた。1本は前に娘が持って来てすでに見たことがあったのでパス。あまり仲のいい兄妹とは言えないが、兄と妹、どこか共通した価値観や感情があるのだろうか(親としてのはかない期待)。2本目は、日本映画だったように思うが、タイトル・内容とも3週間ほどで完全に記憶から消えている(我ながらとても恐ろしい)。もう1本は、ミュ-ジカルを映画化した、「マンマミア」だ。これまで、ミュ-ジカルの映画は、何本か見た(CATS、オペラ座の怪人、CHICAGOなど)が、どれも楽しく、この「マンマミア」もそうだった。

なつかしいABBAのDISCO SOUNDが、スト-リ-のあちらこちらに散りばめられている。自然と体が動き出す。設定された場面は、南海の孤島のホテル。そのホテルのオ-ナ-(母親)の娘が結婚式を挙げる。そこに招待された3人の中年男たちは、娘の父親の候補者たち。いずれも、身に覚え?のある彼らは、「我こそは父親である」と、バ-ジンロ-ドを娘と歩くべく手を上げる。母親の困惑と怒り。娘の戸惑いと不安。3人の男たちの回想...

まあ、現実的にはありえないようなスト-リ-だが、そこは映画と割り切って見れば楽しい。そして私は妄想の世界へと入り込んでいく。いつか、うちの娘の手を引いてバ-ジンロ-ドを歩き、「どこの馬の骨ともわからぬやつ」にその手を委ねる日が来るのだろうか(うちは、クリスチャンじゃないからどうかなあ?)。「お父さん、お母さん、長い間お世話になりました」と三つ指をついた娘の挨拶を受ける日が来るのだろうか(う~ん、娘はそんな玉じゃない)。でも、娘ももう23なのだから、いつそんな日が来てもおかしくない。息子はどうだろう。彼はもう、私が結婚した年齢を過ぎている。でも、年末に親のところへ来るようじゃ、まだまだ、いい人に巡り会ってないのだろう。まあ、彼らが結婚しようとどうしようと、自らの責任でまっとうな人生を歩んでくれるのなら、それでいい。干渉はすまい。

「マンマミア」の主役は、どちらかと言うと結婚適齢期の娘の母親たちの年代である、つまり、私の年代なのである。そういう人たちが、力いっぱい舞台で暴れているのを見るのは大変愉快だ。そして私たちの前には、私たちよりもずっと元気な、いわゆる団塊の世代の方たちがいる。この先輩方は、新しい道をどんどん開拓してくれる、とても頼もしい人たちだ。

このミュ-ジカル(映画ではなく舞台)は去年ソウルにも来たように思う。「マンマミア」というタイトルだけを見て、なんだかひねりが足りないような気がして、面白くないだろうと判断し見逃してしまった。見かけや名前で判断してはいけないのである。

I have learnt a lesson!

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息子が持ってきた「プラダを着た悪魔」と「August Rush」 [映画]


9月の娘に続いて、10月息子がやって来た。同じようにDVDを持ってきた。レンタル料は1枚1週間100円だという。脅威の低価格...いや、日本ではそれが当たり前なのだろうか。いずれにせよ、日本の物価がどこまで下がるのか、とても心配だ。5枚持ってきたうち(3泊なのに5枚?)、息子が、見ようとセットしたのが、「悪魔が来たりて笛を吹く」...ではなくて「プラダを着た悪魔」と「August Rush」だった(うわぁ、めっちゃべたな突っ込み)。リビングの灯りを落とし、ソファ-に寝転がって、LGのスクリ-ンで見る洋画は、2編とも秀作(あくまでも私の素人基準)だった。

Secretary(秘書)、または、最近Assistantと呼ばれる仕事は大変である。私はN社日本法人の元社長秘書、Sさんのことを思い出さずにはいられない。仕事のことからプライベ-トなことまで、実に広い範囲で社長をサポ-トしていた。もちろん、要求のレベルは各社長によって違う。たいていのことは自分でする(できる)人から、すべてオンブにダッコの人まで。映画、「プラダを着た悪魔」の中でのボスは、一面、オンブにダッコの人であるが、他方、自分の仕事に一切の妥協を許さない人でもある(こういう人はたいてい他人の仕事にも妥協を許さない)。象徴的なシ-ンとして, 毎朝、会社に着くと、コートと鞄をアシスタントのデスクに投げるシ-ンがある(アシスタントに、コートをちゃんとクロ-ゼットに仕舞い、鞄を所定の位置に片付けておけという意味)。ボスは自分のすべき仕事(するべき価値が思う仕事)と、誰かにさせる仕事(自分がやらなくても価値は変わらないと思える仕事)をきっちりわけている。コ-トをハンガ-にかけクロ-ゼットに仕舞うのは、自分がやる価値のない仕事なのだ。程度の差はあれ、そんなボスとは働きたくない、そんな仕事はしたくないと思う人が大半だと思う。でも、そんな環境の中で、きっちりした目標を持った主人公のアンディは、どんどん成長していく。ボスがして欲しいであろうことを考え、言われる前に先回りしてやる。そしてある日、ボスはそのコ-トと鞄をアンディの先輩の第1アシスタントのデスクに投げるようになった。アンディにはコ-トを仕舞うよりもっと価値のある仕事をさせるべきだという意思の表明であり、アンディのアシスタントとしての仕事振りを認めたということである。映画はファッション紙の編集局を舞台に展開していくが、そのあたりにまったく疎い私には理解を超えた場面もあった。でも、仕事、人との軋轢、友人、恋人、パリ...ものすごい速さで展開するスト-リ-は見ていて飽きなかった。最後は、アンディが目指していた目標に到達するという、いわば、大変ありきたりなHappy Endだった。

エピソ-ドの1つで、ボスの命令で仕事から抜けられず、どうしても恋人のバ-スデイ・パ-ティ-に間に合わないというシ-ンがあった。「今日は、とても大事なイベントがあるので、残業はできません」と言う権利と、そういうのが一般的に認められるアメリカでこそのエピソ-ドであり、「それは、しょうかないな」となる日本(たぶん)では、そのシ-ンの受け止め方が違うだろう。プライベ-トのイベントを犠牲にして会社での階段を上っていくことで、自分が失っていくものの大切さを見失なってしまう。「タイにいたとき、お父さんはいつも疲れてたね。休みには、よく寝てた」、映画を見終わって息子に言われた。毎日14時間ほど働いていたあのころが、たぶん私の仕事量のピ-クだったのだろう。多感な高校生だった息子から、「お父さんは疲れている」と見られていたなんて、まったく知らなかった。「それは、おまえが、高校で暴れて問題を起こしたからや」と返してやろうかと思ったが、そんなことは小さなことで、実際私は疲れていたのだろうと思う。自分でやらなくてもいいことも、全部抱えてしまっていた。今、もし、タイに行って同じ仕事をしたなら、たぶん、8時間とまでは言わないが、毎日10時間以内でこなせるように思う。そして、残った時間をもっと家族と過ごせただろう。でも、それは、あれを乗り切った今だから言えることで、通るべくして通った道なのだ、後悔ではない。

それにしても、どの服がプラダなのか、私にはまったくわからなかった。

「August Rush」(日本のタイトルは失念)は、文句なしに楽しめる、ありえないサクセス・スト-リ-。映画にちりばめられた音楽もすばらしい。主人公11歳のエヴァンが初めて触れたギタ-を演奏するシ-ンがとてもいい。音的には「押尾コ-タロ-」の名前が思い浮かんだ。リズム感に富み、美しいメロディ-を奏でる押尾コ-タロ-のギタ-プレイを彷彿させる演奏が、主人公の天才ぶりを言葉なしで表現する。11年ぶりに親子3人が奇跡的に再会するエンディングはもう圧巻で、涙なしで見ることはほとんで不可能だ。息子も家内も目が濡れていた。音楽というものの底知れぬパワ-を体験できる。ありあえないスト-リ-なので、それに疑問を投げかけても仕方がないのだが、一夜会っただけの人(まあ、会っただけでなくいろいろあったが)を、12年以上ずっと思っていることは可能だろうかという命題が残る。可能だと言えるかも知れないし、実際的ではないとも言える。「それは、映画だから、お話だから」、普通ならそういう私だが、主人公の母親役の女優さんがとてもすばらしかったので、ついそんなことを考えてしまった。

映画のことを話題にして魅力的な記事を書かれる方々に比べ、自分の書くことがあまりに理屈っぽくてつまらないので少しがっかりした。私は淀川長治には成れない(まあ、成りたいわけでもないけれど)。

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

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