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Musical MammaMia マンマ・ミ-アと日曜出勤 [音楽・舞台]

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1月8日、ミュ-ジカル、マンマ・ミ-アを見に行った。ソウルの山手線/環状線、地下鉄2号線をうちの家のあるチャムシルから約半周(40分ほど乗車)し、シンドリン駅に隣接するT-Cubeア-トセンタ-(コンサ-ト・ホ-ル)を目指す。年末、京都を歩いていた時、京都劇場で上演中の劇団四季によるマンマ・ミ-アの宣伝をよく見た。いつか、日本のミュ-ジカルも見たいと思う。前回のCatsがそうであったように、今回もすべて韓国人俳優による舞台である。韓国人俳優ののミュ-ジカルにおける質の高さは何回も経験済みなので何の心配も無い、ただ舞台を楽しみたい。

この作品は一度映画バ-ジョンをDVDで見ている。世界でも屈指のヒット・ミュージカルだ。ABBAのヒット曲に乗せての舞台はとても楽しい。前日、復習のためにとABBAの古いDVDを見る(何故これが我が家にあるのだろう?たぶん、近所のス-パ-で500円くらいで売ったいたものを買ったと思われる)。このABBAのDVDは、けっこうきつかった。曲はいいのだが、Visualがどうもいただけない。頭の中にスウェ-デンの金髪美人というイメ-ジがあったが、DVDの中では、けっこう体格の立派なお姉さんたちが歌っていらっしゃった。Dancing Queenを聞いても、テンポが非常に遅いように感じてしまう。もちろんこれは錯覚で、ABBAが活躍した時からすでに30年近く経っているので、当時と今ではダンス・ミュ-ジックのテンポがまったく違い(早くなっていて)、いかに現代音楽に精通していない私と言えども、違和感を感じてしまったのだ。ABBAの責任ではない。

舞台はエ-ゲ海の小島、結婚式を控えたソフィ-が、母親の日記に基づいて招待した3人の父親候補を待つところから始まる。終わりの幕が下りる寸前まで、私はこのソフィ-が主役なのだろうと思っていた。しかし、実際の主役は母親のドナ、そしてかつてドナとバンドを組んでいた二人の女友達、さらにドナの3人の元恋人たち(ソフィ-の父親候補)である。予期せぬ3人の元恋人たちの出現に苦悩するドナ、それを励まし、そして茶化す友達、「俺こそが」の父親候補たち...ドタバタで、とても楽しい。ただ、歌を含めすべてが韓国語なので映画などで予習をしてないと、まったく筋を追えない。スト-リ-が終わり、サ-ビス・カ-テンのような感じでDancing QueenとWaterlooがドナと女友達によって歌われる。会場は総立ちとなり、手拍子が鳴り響いた。演出とは言えすばらしいエンディングで、見た者に納得感を与える。終わり良ければ全て良しである。日本のマンマ・ミ-アと見比べたいと思った。

Musucalとしては楽しいが、父親の顔を知らずに育ち、結婚式の日に3人の父親候補が現れるという物語の設定はどんなものだろう。この設定をすっと受け入れられないと、Musicalが楽しくなくなる。倫理がどうのとか考え出すと、ABBAのDisco Numberを踊っている場合ではなくなってしまうのだ。実生活では、そういう修羅場に出くわさないことを願わすにはいられない。


ミュ-ジカルを堪能した後だが、1月の始めは、世界中のFinance担当者の宿命で忙しい。日曜の午後だと言うのに、会場から会社へ直行した。最寄地下鉄駅で差し入れのド-ナツを買う。午後6時、4人の部員が働いていた。私がマンマ・ミ-アを見ていた間も彼らは働いていたのだ。非情に申し訳ない。ただ、言い訳をすれば、彼らの仕事にある程度の目途が立たないと私の出番はない。韓国では節電対策として、20度以上の部屋では暖房が禁止されている。政府職員はいつでも抜き打ち検査をする権限を持ち、もし違反が見つかった場合、罰金を含む罰則がある。確かに部屋の温度計は20度を指していたが、窓際から冷気がそこはかとなく漂ってきて体感温度はけっこう低い。みんなオ-バ-を来て仕事をしていた。データをもらって必要な試算をし指示を出した。9時過ぎ、ようやくひと段落して解散。帰りの寒い道を歩く私の頭にはまだDancing Queenのメロディ-が流れていた。

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CATS again [音楽・舞台]

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3年ほど前、ソウル、ロッテ・ワ-ルドに隣接する劇場でCatsを見た。感動した。そして、DVDを買い、何回も見た。何度見ても楽しめるすばらしいエンタ-テインメントだと思う。そのCATSが「30周年」という看板を下げて、ソウルの同じ劇場に帰ってきた。90日ほどの公演である。前回見たのは、外国人たち(韓国人ではないという意味)によりCATSだったが、今回は、出演者(出演猫?)はすべて韓国人の俳優たちである。韓国のミュ-ジカルや音楽、舞台の質の高さは体験済みなので、このCATSも楽しみにしていた。でも、チケット獲得に動くのが遅かったせいだろう、週末のいい席はSold Out、なんとか、火曜日夜8時のチケットが手に入った。今回心配したのは、何回もDVDを見たので、私の中で「あるべきCATS」の姿が出来上がってしまっていて、それと異なるものは認めようとしないのではないかという点である。

CATSのユニ-クさは何と言っても、舞台にいるのがすべて人間が演じる猫だということ。スト-リ-は、ほとんど人間社会で起こりうることだけど、それを演じるのは猫になりきった人間たち。しぐさの端々に猫らしさを表現している。ほとんどの猫たちが常に舞台のどこかにいて、歌を歌っていない踊りを踊っていない時も、常に猫を演じている。私は、取り立てて猫好きではないが、それらを見るのはとても楽しい。人に外見や性格の違いがあるように、すべての猫は違う。そして、私の妄想は広がる。「DOGS」という舞台は成り立つだろうか?もちろん、犬にも犬の社会があるから、ある程度のスト-リ-はできるだろうが、犬社会は人間社会と結びつきが強すぎて、「CATS」のような演出は、難しいように思える。それならいっそのこと、「FROGS」の方が舞台になりそうだ。しかし、俳優たちは2時間の間、ずっと蛙飛びで演技をしなければならないので、かなりきついだろう。そう考えると、「CATS」という選択は必然的なように思える。


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当日、特別早く退社して、一旦家に帰り、簡単な夕食後劇場に出向いた(家から劇場まで歩いて10分足らず)。20分前に着いたが、劇場のホ-ルはごった返した人の熱気でむんむんしている。何もすることがないのですぐ席に着く。コンサ-トなどに行って常々思うことだが、開演ぎりぎり(1分前とか)になってようやく会場に入ってくる人がいる。、しかも、かなりの数。すっかり観賞モ-ドに入っている人にはちょっと興ざめだ。遅刻しているわけじゃないので目くじらを立てる必要も権利もないが、ゆっくり舞台なり音楽を鑑賞しようと思えば、それなりの気持ちの余裕がいるように思う。山でもそうだったが、こういう場合でも、人の前を通って中の方の席に入っていく場合、「ちょっとすみません」と声をかける人の割合はそんなに高くない。ちょっと???である。また、そういう人に限って、終演後の挨拶や、賞賛とアンコ-ルの拍手をする前に席を立って会場を出て行く...まるでTVのチャネルを替えるように。まあ、それぞれご都合もあるんでしょうが...

照明が落ち会場の通路から、一匹そしてまた一匹と猫たちが舞台に上がっていく。ジェリクル・ナイトが始まる。耳に馴染んだ音楽、リズミカルな歌、そしてシャ-プなダンス。とても素晴らしい出来だと思った。安心して楽しめた。歌はすべて韓国語だったが、スト-リ-はすっかり頭に入っているのであまり気にならない。あらためて韓国人俳優たちの歌のレベルの高さに驚く。ただ、CATS、すなわち猫のことを韓国語でコヤギ(고양이)と言う。歌詞に多分一番多く出てくる単語がCATS、それが「コヤギ」と訳され、それが子山羊を連想させられるので、猫の話なのか山羊の話なのか...白ヤギ.さんたらお手紙食べた...

気になったのは、舞台照明がちょっと暗すぎるように思えたこと。奥の方がよく見えない。またスポットライトも控えめだった。
オールド・デュトロノミ-役の俳優が小柄だったことも気になった。猫たちの長老的な役で、精神的にもとても大きな存在。DVDでも大柄の俳優さんが演じてその存在感が十分出ていたが、今回の舞台では、割と小柄な俳優さんで、ちょっと貧弱に見えた。風采が上がらない感じで、最近、長年の裁判の終結で話題になった、某宗教組織のグルだったという殺人者のように見えたのは私だけだろうか。このあたり、心配していたDVDの刷り込みによる偏った見方になっていたのかもしれない。
さらに言うならば、(とても素晴らしいと言っているのに文句が多い)、ハイライトの一つ、Memoryの歌が今ひとつだったのは惜しい。歌そのもののせいなのか、音響ミキシングのせいなのか、それとも私の期待値が高すぎたのか。心を揺さぶるはずのこの歌、音量は大きくて身体は揺さぶられたように感じたが、それが胸の奥に沁み込んで来なかった。

  > Touch me, it's so easy to leave me
  > All alone with the memory of my days in the sun
  > If you touch me you'll understand what happiness is
  > Look, a new day has begun

猫も人間も、幸せが何であるのを理解することは永遠のテ-マなのだろう。

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雨に歩けば、チェロの音色と回る寿司 [音楽・舞台]

子供のころ、長靴を買ってもらったり、傘を買ってもらったりすると、雨が待ち遠しくて仕方なかった。樋(私は昔からこれを「とゆ」だと認識していたが、漢字の変換に出てこないのでチェックすると、なんと「とい」だという。そして「とゆ」は但馬地方の方言だと...知らなかった。明石でも普通に使ってたと思うけど。)からあふれる雨水の下に傘を持っていってぐるぐる回したり、水溜りに長靴で入って行って、長靴の喫水線(?)ぎりぎりまの所で遊んだり...結局、ずぶぬれ、びちょびちょ、ぐちゃぐちゃになって母に叱られたものだ。「三つ子の魂百まで」、「雀百まで踊り忘れず(雀って踊るのだろうか?)」、大きくなって、白い髭が生えるようになっても、することは大して変わらない。夏の長期トレッキング(日帰りトレッキングを続けてする程度)用に購入した、レイン・ウェアを試してみたくて仕方がない。ついでに、Gアテックスの帽子やGアテックスのトレッキング・シュ-ズも。折から、台風5号が北上し、朝鮮半島の西側を通過した。週末ずっと雨である。これぞ千載一遇のチャンス。早速、上から下まで防水ウェアに身を包み、近くのオリンピック公園に出かけた。雨の中傘を差さずに歩く。10分、20分、結構降っているのに、帽子、ウェア、靴の中はまったく濡れてこない。防水面での実力は完全に検証された。さすがに大人になったので、トレッキング・シュ-ズの喫水線を超えるような水溜りには入らない。「君子危うきには近寄らない」し、「虎子がいないので虎穴にも入らない」のだ。こんな日になぜか、公園でマラソン退会を実施している大手銀行があった。走る選手は、全員、水もしたたるいい男、いい女になっていた。「雨なんて気持ちで吹き飛ばせ!根性だ!」などという妄言がスピ-カ-から聞こえていた(実際は何を言っているのかよくわからなかったが、威勢のいい掛け声がかけられていた)。正直に言えば、彼らは、はっきり言って歪んだ悲痛な顔で走っていた。きっと何人かは風邪をひいたはずだ、可哀想に。あの銀行の月曜の窓口業務は支障なかったのだろうか、心配になる。雨の日のマラソン大会が原因で、窓口業務が滞り、それが噂を呼んで取り付け騒ぎがおき、そのままあえなく倒産...ちょっと考えすぎだった。そんな彼らを横目に、防水グッズに身を固めた私と妻は、「ドライ・ウォ-キング」を楽しんでいた。雨の日に傘を差さずに歩けるとは何と快適なことか。優越感にさえ浸れる。まるでフェラ-リに乗って高速を運転しているような気になる(ちょっと言い過ぎだ)。ただし、若干の問題があった。Cロンビア社のレイン・ウェアの謳い文句は、「外からの雨を通さず、内からの汗を逃がす。蒸れない通気を確保」だった。そんな魔法のような生地があるのだろうかと半信半疑だったが、魔法の効き目は、やはり100%ではない。考えれば、ウェアの外も湿度100%に近い(雨が降ってるんだから)。そんな所へ都合よく身体から出た内側の湿気だけが流れ出すはずがない。普通のナイロン・ガッパよりは通気性がよいという程度で、長時間歩いて発生する汗は、やはりウェア内にも多少こもるのである。ひょっとしたらGアテックスなら完全な通気が利くのだろうか。私が買ったのは防水通気機能はGアテックスと同じ、でもGアテックスより薄くて柔軟、Cロンビア社が開発した着心地最高の生地(以上、メ-カ-の説明)なのだ。さらに、もう一つ、些細な問題があった。それはレイン・ウェアの色である。オレンジなのである。消防士と同じ色なのである。雨の中を、傘も差さずにオレンジのレインウェアで歩く男...警察に通報される可能性はゼロとは言えない。

約2時間の防水検査を兼ねた雨中の散歩を終え家に帰る。途中で、地下鉄駅の改札の横の店で、ト-スト・サンドを買った。韓国ではこのト-スト・サンドがポピュラ-で、街角でよく見かける。お好み焼きを焼くような鉄板で、トースト用のパン、玉子(薄焼き)、ハムなどを焼く。それらを重ねた上(パンが一番下)に野菜をのせ、甘めの味の濃いドレッシングをかける。そして焼いたパンを一番上に載せて出来上がりだ。私的には、それをグリルサンド専用の金型に入れて表面をパリっと焼いてほしいところだが、韓国のホット・サンドはそれで終わり。ドレッシングは一度食べると3週間は食べたくない濃い味付けだった。また、5分ほどかけて家まで持って帰ったのがよくなかったのだろう、「パリッ」ではなく「グチャッ、ブニュッ」という食感だった。

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午後、おなじみの芸術の殿堂へチェロの4重奏を聴きに行く。韓国、中国、スイス、スウェ-デン、4人のチェリストたちの演奏会だ。2階席最前列から見ると、広いステ-ジにはピアノの椅子が二脚(ピアノはない)と譜面立てが2本おいてあるだけという、良く言えば極めて空間の豊かな、整理整頓の行き届いた、悪く言えば何もない、完全に手を抜いたような舞台設定だった。プログラムを見ると、まず4人が2人ずつに分かれて、デュオの演奏を聴かせてくれるようだ。拍手に包まれてステ-ジに登場した2人のチェリストたち。演奏が始まる。驚いた。チェロという楽器は好きだが、その力をまだまだ過小評価していたことを改めて後悔する。たった2台のチェロがあんなに豊かな音色と表現力を持つとは。圧倒された。あんなに広く見えたステ-ジが、2人のチェリストと彼らが紡ぎだす音色によって小さく見える。そして別のペアのデュオ。これまた、素晴らしい。あんない澄んだ音のメロディ-が、あんなに力のあるベースが、あの木の箱から出て、大きなコンサ-トホ-ルを完全に支配する。休憩を挟んで、ついに4人がいっしょに演奏を始める。家にもCDがあり、何回も聞いた「リベル・タンゴ」。ヨーヨ-・マのCDでは、アコ-デオンやピアノ、パーカッションなどを交えた演奏だったが、このステ-ジでは、チェロのみ。チェロだけなのに、なんと奥の深い演奏だろう。めったにないことだが、演奏を聴いていて鳥肌がたった。私は酉年生まれだし、ホ-ルのエアコンはきつめだった。演奏に対し、あんなに心からの拍手を贈ったことはまれである。通常儀礼的に、演奏に感謝し賞賛の拍手をする。でも、この日は、アンコ-ルを聴きたくて仕方なかった。そしてもう一度、「リベル・タンゴ」のさわり。なんと、幸福なことだろう...

バスで江南(カンナム)駅まで出る。妻が友人から聞き込んだ、おいしい「回るすし屋」に行くためだ。別に「回る」ところへ行きたいわけではない。最高のチェロの演奏を聴いた後なのだから、できれば地に足のついた、落ち着いた鮨屋の方がありがたい。しかし、ポイントは「回る」という点ではなく、「おいしい」という所にあった。店名は「Gってん寿司」...日本のチェ-ン店だということだ。「Gんこ」なら知ったいたが、「Gってん」の方はきいたことがなかった。入店すると、カウンタ-の中・外の従業員たちが声をそろえて迎えてくれる。まさに、日本の正しい「回るすし屋」、「居酒屋」の姿である。前に「回るすし」を食べたのは、確か明洞のロッテデパ-トの最上階。もう2年以上前のことだろうか。それに比べ、江南の「Gってんずし」は、日本的品質が非常に高かった。気分がいいし、第一おいしいのである。カウンタ-内には日本人職人?が3人もいて、全部日本語で注文できる。茶碗蒸しは今ひとつだったが、鮨はみんなおいしかった。だいたい、味がたいしてわからない私にはこれで十分である(そんなことを言うと「Gってん寿司」さんに失礼になるか)。

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なんとまあ、長い盛りだくさんの1日であったことか。そんな1日の最後を飾ったのは、夜、娘からの電話。彼女の勤める学校が夏休みの間に、どこかリゾ-トに連れて行けというものだった。「いっしょに行こう」ではなく、「連れて行って(費用はすべてこちら持ちの意味)」である。うかうかしていると、「なぜ働いて収入を得ている娘を、親がリゾ-トに招待しなければならないのか」という根幹の疑問を飛ばして、「いつ、どこに」の話になってしまう。恐ろしい娘である。その話は娘と妻の間で進展しているようだ。

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ミュ-ジカル、ジキルとハイド [音楽・舞台]

久々に近所のロッテ・ワ-ルド・ホテルとなりの劇場へミュ-ジカルを見に行った。前回の「オペラ座の怪人」が素晴らしかったので、今回の期待値ハ-ドルはぐんと高い。このミュ-ジカル、1日2回公演のようで、看板スタ-(韓国アジュンマに圧倒的人気)の出る日のチケットはほとんど売り切れていた。出演者に思い入れのない私たちは、「その他の役者」が出る、土曜午後、2階2列目中央というチケットを確保した(1階は端の方の席しかなかった)。

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ジキルとハイド、もちろん題名は知っている。いや題名だけ知っていた。いわゆる、解離性同一性障害(多重人格)の代名詞的作品だ。しかし、それ以外のことは何も知らなかった。オープニングは、精神に疾患をもつ人の病院(何と言って表現すればいいのだろう...最近言葉の使い方の規制が多い)の風景から始まる。父親の崩れ行く精神をなんとか元に戻したい...ジキル博士はもだえ苦しむ。彼の研究は、教会などをバックとする倫理委員会でこっぴどく否定され、彼は自分自身を研究の実験台にすることを思いつく...悲劇の始まりだ。前半、説明的なセリフ(もちろん韓国語)が多く、言葉のわからない私には、ちょっと退屈だった。舞台装置も比べてはいけないと思いつつ、前にこの劇場で見た、「オペラ座の怪人」の豪華な舞台と比べてしまう。でも、前半が終わる頃から、主役の歌が増え、準主役の女優さんも負けじと声を上げ、舞台が盛り上がり始める。後半は、ハイド氏によるいくつかの殺人事件...その殺人方法の一つが、首の骨を折るというもので、「ボキボキ」というあの懐かしい必殺仕事人のような効果音が流れる。あんたは山崎努か?と噴出しそうになる。幕切れの結婚式とジキル博士の死の場面は、もうちょっと工夫があってもいいような気がした(素人批判ははうるさいのだ)。それでも、圧倒的な拍手とともに幕は下りた。ジキルとハイドを演じ分けるのに、声のト-ンを変えたり、服を変えたりしていたが、その多くを髪形の変化に負っていた。つまりジキル博士はオ-ルバックのポニ-・テール、ハイド氏はくくりを解いてザンバラ髪...黒いマントを着て、髪を乱して暴れるハイド氏が、なぜか私には、漫画「エ―スをねらえ」の宗方コーチに見えてしまい困った。今にもお蝶夫人が現れるのではないかと...どうも私の頭の中で、現実の舞台とは別の、解離性のスト-リ-が進んでいたようだ...

3時に始まった舞台がはねると、もう6時になっていた。ロッテ・デパ-トのレストラン街の中華で晩ご飯を食べた。例によって、ザ-サイ、ピ-ナッツ、タクアンが食べ放題である。とても得した気分だ。

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韓国伝統音楽との真剣勝負 [音楽・舞台]

日本映画、「告白」がソウルで上映されているので見に行くことになった。原作を読み、楽しい話じゃないのは知っていたので、あまり気が進まなかったが、妻の強い押しに負けた(基本的に私はいつも負ける)。フィクションであっても、理由の納得できない殺人はいやだ。最近、自分の心の中の葛藤が整理できずに、何故か見も知らぬ人を殺してしまうというような事件が現実社会でも頻発している。「告白」の中には、吐き気がするような身勝手さが渦巻いているし、それを本にして、映画にして、何が楽しいんだろうと不思議に思う。スト-リ-の救いのなさを除けば、たぶんよくできた映画なのだろうとは思うけれど...映画館も清潔で見やすかったし、料金も700円ほどである。ただ、エンドロ-ルが出だしたとたん、観客がすぐに立って、スクリ-ンの前を横切って外へ出て行くのはあまりいただけない。漢字で表示された日本映画のスタッフの名前など見ても仕方がないのはわかるが、まだ座って余韻に浸っている人がいるのだから、せめてスクリ-ンの前は外して出て行って欲しい気もした。

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映画館のあるサムソンの近くの韓定食の店に夕食の予約を入れていた。韓国の伝統音楽の舞台つきのレストランだ。映画がはねて、6時過ぎに着くと、その舞台の正面の席に案内された。そして、困ったことに他に客はまったくいない。伝統音楽の公演は7時からなので、そぞろ人が集まってくるのだろうと思い、料理を注文して、「百歳酒」を飲みながら韓国の味を楽しんでいた。

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しかし、20分経っても40分経っても客の来る気配がない。誰か来たと思ったら、手に楽器らしいものを持った「出演者」と思しき人だった。そんな「らしき人」が数人やってきたと思ったら、アナウンスと共に伝統音楽の舞台が始まってしまった。観客は舞台のまん前に座っている私と妻だけである。踊り、歌、楽器の演奏...入れ替わり立ち代り、素人目にもしっかりとした基礎が身についている、決してレベルの低くない芸が披露されていく。しかし、いつまで経っても観客は2人だけ。私は、椎名誠の「哀愁の街に霧は降るのだ」のおかしく長い前段の話を思い出さずにはいられなかった。椎名誠が作家らしく「缶詰」になりたいと希望し、なぜか和歌山県串本のグランドホテルに入ったのはいいけれど、シ-ズンオフで、泊り客は全部で7~8人。ひなびた海岸の温泉というイメ-ジは、哀しくも打ち砕かれ、その夕食は、大広間でのデラックス・フィリピン・ショ-を見ながらというものになった。7~8人の客は舞台の前に座らされ、顔を引きつかせながら、必死に拍手をしなければならなかった...というおかしくも哀しい話だ。私たちは、「缶詰」を希望したわけでもないし、ましてや串本グランドホテルへ出かけたわけでもないのに、韓国伝統音楽を背負って立つ5人の出演者に対し、たった2人の観客と言う、大きなハンディとプレッシャ-を課せられて、その演技を見なければならなかった。歌っている人など、こちらに視線をあてて歌うものだから、料理に箸を伸ばすわけにもいかず、ただただ早く終わってくれることを願いながら、舞台を楽しんでいる風を装いながらに、固まっていた。これが、演奏がいい加減な人たちなら無視するという手もあったが、彼らはちゃんとした演奏家たちだった。礼を失してはいけないと思いつつ、約30分間とんでんもない緊張を強いられた。観客が少ないとやる方もつらいだろうが、見ている方はもっと辛いということを始めて知った。途中で、サービスの一環なのであろう、舞台でいっしょに写真をどうかと誘われた。5対2だ、断るだけの勇気がなかったので、引きつった顔で写真を撮ってもらった。ショ-が終わったときには、ほんとうに安心した。もし、今度あの店に行くなら、最低10人くらいの団体でいくべきだろう。料理もおいしく、ショ-の質も高かった割りに、満足感が得られなかったのは残念だ。日本への海外からの旅行客が激減しているのとい同時に、日本から韓国への旅行客もずいぶん減っているようだ。この店が、日本人観光客だけを相手にしているとは思えないが、かなりの部分を依存していたかもしれない。「自粛」の影響はこんなところにも出ている。そして、舞台が終わると、3分もしないうちに出演者たちは私服に着替えて帰って行った。その速さは、驚嘆すべきものだ。よく考えれば、韓服は着脱が容易なのだろう。これが日本の着物ではそうは行かない。ついさっき、韓服を着て優雅に舞っていた女の人が、完全なライダ-スタイルで、ヘルメットを抱えて出て行ったのが印象的だった。

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