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海外での買い物 DVD Playerの場合 [ソウルでのこと]


どうも、うちのDVD Playerの調子がよくない。私のリモコンの操作を無視したい気持ちはわからなくもないが、本体のボタンを押しても「知らぬ存ぜぬ」で通されては困る。叱ってみたが、反抗期と見えて返事をしない。4年前に買ったもので、再生専用、でもVHS(テ-プ)の再生も出来たのでこれを失うと、大量にあるビデオテ-プの再生ができなくなる。しかし、本人が返事をせず、将来の夢も語らず、ただ無駄飯を食っている(電源は入る)だけなので、「おまえのようなやつは出て行け」というと、フンを鼻で笑われた(実際はブ-ンという機械音を返した)。

これまで韓国で買った電気製品といえば、テレビ、冷蔵庫、炊飯器、扇風機である。このうち炊飯器以外は、調子よく働いてくれている。炊飯器は、たぶん本人はしっかり働いているつもりなのだろうが、どうもこちらの思惑とちがう結果を出す。「お米の粒が立つ」というような結果を出してもらいたいのだが、「お米の粒がみんな仲良くしてる、しかも、かなり仲良くしてて離れたがらない」というような方向にもって行こうとするのだ。「そうじゃないんだよ」と教えても、給料を減らしても(実際は水加減を減らしても)、働く態度を変えようとしない。「この方が韓国受けするんだから何が悪い。米は文化だ」と胸を張る始末だ。「韓国の文化は尊重するけど、この家の中ではどうか日本の文化も認めて欲しい」と懇願しても言うことを聞いてくれない。仕方がないので、関空で日本製のを1つ買った。まるで中国人観光客のように炊飯器を抱えて飛行機に乗ったのを覚えている。

DVD Playerを買いに行った。ロッテのDigital Martという電気製品の専門店だ。テレビはたくさん置いているのにDVD Playerの展示は少ない。売り子の人とはほとんど言葉が通じない。「英語のできる人はいないか?」と聞いても、「そんなやつおらへんやろと」と大木こだま・ひびきのように答える。心配なことは日本で買ったDVDが映るかという点である。日本市場で売っているDVDは通常「Region 2」というカテゴリ-でこの「Region」が違うと映らないのだ。店員に「これはMulti Regionか(どのRegionのでも映るか)?」聞くと。「大丈夫だ」と言う。あまりに自信ありげにそう言うので、ちょっと危ない気もしたが、7000円くらいと値段も安いので買った(最悪、ダメ元とあきらめられる)。家に帰り早速テレビに接続して操作するとあっけなく映った。「よかった」と安心したが、よく見ると映したDVDは娘が家で録画してくれたもので、正規の流通で買ったものではない。「ひょっとして?」、正規のル-トで買った桂枝雀の落語のDVDをかけて見た...恐れていた{ERROR}の表示だ。これは桂枝雀がよくないのかと、立川志の輔に変えてみたが、やはり「{ERROR}。これは落語がよくないのかと映画をかけても{ERROR}。ちょうど借りていた韓国製のドラマ「Full House」はちゃんと映る。完全に「Region2」に拒否反応を示している。たぶん「Multi Region」の「Multi」だけを聞き取って、DVDやCDに対応するので「大丈夫」と店員は言ったのであろう(善意の解釈)。仕方がないので、パッキングをしなおして、買ったばかりのDVD Playerとテスト用の桂枝雀のDVDを持って、「Digital Mart」に戻った。店員が数人集まり、なんだかんだ大騒ぎになったが、結局、韓国内ではそのような「Multi Region」の機械は売っていない、ただし、メ-カ-(LG)に掛け合えば、調整してくれるだろう」ということで落着した...いやいや、そこで落着してもらっては困る。そのメ-カ-との掛け合いはうちでしろと言うのだ。ただでさえ言葉が通じないのに、電話でそんな複雑な意志の疎通ができるとは思えない。また、それをメ-カ-に発送して...などと思うととうていやり遂げられそうにない。ふと、売り場の端にXONYのコ-ナ-があったのを思い出し、試しにそこのDVD Playerに桂枝雀を乗せてみた。何と、Samsungに追いたてられすっかり影が薄くなったとは言え,、さすが(元)世界のXONY、枝雀が「代書屋」を演じ始めたではないか。Demo用の韓国のDVDも映っていたということは、これぞ求めていた「Multi Region仕様」。店員を呼びに行って、「あっちのXONYの機械で映るようだから、あれにします。交換してください」と訴えた。さっきまで、韓国ではそんなMulti Regionの機械は売ってないと豪語していただけに、「そんなバカな」と疑わしげな目をしながら、その店員はXONYコ-ナ-まで着いてきた。変なおっさんが、変な服を着て、変な顔で、変な座り方をしてしゃべっているスクリ-ンを見て(枝雀さんすびばせん)、「ほんとうにこれでいいんですか?」と若干ふてくされ気味に交換に応じてくれた。ただ、在庫がないので宅配便で後日の配送になるという。住所や電話番号を書いて宅配の手配をする。そこまで来て、ようやく大事なことを思い出した、「で、値段はいくら?」。提示された価格は、始めに買ったLGのものの3倍した。さすが(元)世界のXONYさん、えげつない商売しはりまんな...よく見ると、使わないけれどBlueRay対応らしい。ここまで来て、今さらちょっと考えるとは言えなかったので素直に支払った。数日後、家に届いたXONYのDVD Playerは期待通りの活躍をしている。

世界のコンセントの形とか、電圧とか、携帯とか、DVDのRegionとか、何でこんに違うのだろう。人類は皆兄弟ではないのか?UNISEFとかIMFとかFIFAとかが音頭をとって統一してくれないものかと思う。そして、日本はたいていマイナ-な方に属しているのも不思議だ。

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旧正月の出来事 [ソウルでのこと]

今年の旧正月は1月23日だった。韓国の多くの会社がそうであったように、私の会社も23~24日が休日となる。12月始め、旧正月中にどこか暖かいところへ行きたいなと画策したが、如何せん時すでに遅く、タイやマレ-シアへの航空便に空席は無かった。みなさん、ちゃんと早めに準備をしているのだ。新正月には娘が来たが、旧正月には急遽息子が来ることになった。何故、同じタイミングで来ないのか...

ちなみに、この旧正月のことを、韓国語では「ソル」という。フランスからのVisitorと話をしていて、私が「Chinese New Year」と表現すると、「韓国でもChinese New Yearと言うのか? おかしいではないか」と突っ込まれた。いっそにいた韓国人が、「確かにおかしいし、韓国人はChinese New Yearとは言わない(そりゃそうだろう)」とそのフランス人に同意した。「じゃあ、何て言うんだ?」に対しては、言葉が詰まった。そのあと3人で、「Lunar New Year(陰暦の新年の正月)」が正しいという結論にたどり着いた。私は自問した、なぜ「Chinese New Year」と表現してしまったのだろう。振り返れば、「Chinese New Year」とも「Lunar New Year」とも言ってきた。そして私の頭に浮かんだのは、この季節に良くある横浜や神戸の「中華街」からのTV報道だ。爆竹が鳴らされ、龍の獅子舞(龍舞?)が繰り広げられる「あれ」だ。あの印象がきつくて、自然とChinese New Yearという言い回しになる。ま、どうでもいいことだけど。

息子がいた3泊4日の間、ソウルはかなり冷え込み、1日はマイナスが二桁にもなった。そんなわけで、正月にふさわしいダラダラ生活を満喫した。

空港に着いたら掛かってくるはずの息子からの電話は無く、待ち合わせ場所のロッテワ-ルドホテルに適当な時間に行ってみると、すでに息子が待っていた。10分ほど待ったと言う。「何で電話してこないんだ」と問うと、「え、そんな話やったっけ?」ととぼけられた。

その日は早めの夕食に、鶏鍋(タッカンマリ)を食べに行った。地下鉄で1駅で行けるおなじみの店である。こくのあるス-プ、上質の鶏肉、ニラと特性ソ-スのつけだれ、言うことなしだ。鍋の残りでカルグクス(麺)とポックンパプ(焼き飯)を食べ、お腹いっぱい。家に戻って、スコッチやブランデ-で酔っ払い談義に花が咲く。

2日目、息子の希望で予約しておいた、南山のHホテルのブランチに出かけた。このホテルのブランチの前菜コ-ナ-(ブッフェ)は質が高い。私はいつも、メインの肉とかは食べず、前菜のみを何度も食べる。セットになったシャンパンを飲み、白ワインを一本あける。おいしい。いくら前菜とはいえ、何度も食べればかなりお腹に応える。イ-テウォンまで歩いて降りて、屋台でCDを何枚か買う(安くない)。夜は軽く食べるべきなのに、息子のリクエストで、ドライカレ-をお腹いっぱい詰め込むことになった。

3日目、正月である。せっかくだからと景福宮まで出かけたが、寒いだけで正月らしいイベントは無かった。せっかく近くまで来たからと、前々日、鶏鍋を堪能したのも忘れ、土俗村へ足を運びサムゲタンを食べる。いつ食べてもおいしい。午後、地下鉄で移動し、民族伝統音楽の正月特別公演を見に行く。一部寝かけた場面もあったが、後半、威勢の良い太鼓を中心としたパフォ-マンスになって、やんややんやと堪能した、明日はお別れということで、夜は家で焼肉をした。

よく考えれば、あきらかにオ-バ-ペ-ス、食べすぎである。4日目の朝、妻の調子がおかしい。何も要らないという。さすがの息子も、少ししんどそうである。元気なのは私だけだった。昼、息子を近くの韓定食屋に連れて行く(妻はパス)。息子の箸はあまり進まない。往復の寒い道も辛そうだった。家に戻ってバス停に行くまでの時間、息子はソファ-で寝てしまった。3時過ぎ、息子を空港バスの乗り場に見送る。家に戻って、私もようやく異変(私の体内の)に気がついた。急にトイレと親友になり、頻繁に行ったり来たりを繰り返した。息子が去り、残った老夫婦は、夕食も食べず寝込む。

翌朝、妻はかなり回復したようだが、私の方はピ-クを迎えたようで、まったく力が出なかった。仕方が無いので、会社に電話して欠勤する。何も食べない状態が30時間ほど経過して、ようやく起きられるようになった。

息子と飲んで食べての正月は楽しかったが、きちんと自己管理をしなかった分、辛い目にあった。今回の原因を分析したところ、家で食べた焼肉がいけなかったようだ。まず、単に食べ過ぎたこと。そして、普段食べつけないサシのいっぱい入った高級牛肉を食べたこと。豚三枚肉も食べたことなどが、原因として挙げられる。前に、この同じメンバ-で、神戸牛のステ-キハウスにいったことがある。見たことも無いような見事なサシの入った肉を食べた。値段も恐ろしく高かった。しかし、食感は、肉というより油に近かった。そして、妻と息子の消化器官はその肉の受付を拒否したのだ(一旦受け付けたが、数時間後返品となった)。どうもうちの家族は動物系脂肪に弱いらしい。今回、改めてそれが確認できたのは、今後の食生活安定化に向けてよい教訓となった。

「気をつけよう 動物油と 食べ過ぎに」、我が家の家訓とすべきだろう。

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群山での結婚式 [ソウルでのこと]

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韓国で何回か結婚式に出ている。部署のNさんが招待状をくれた(韓国では招待状は参加不参加に限らず、たくさん出す)。場所は彼の出身地、群山だという。もちろん、群山と言われてもどこなのかわからない。説明によれば、ソウルから約220kmほど南西に行った、黄海に面した町らしい。当日、会社の前からバスを出してくれるということだったが、自由行動をしたかったので、車で行くことにした。部署のJさんに無理を言って彼のナビを貸してもらった。私の車にもナビがあるが、英語バ-ジョンであまり需要が無く、ほとんど更新されていない。前も、高速を走っていると、ナビでは山の中の何もない所を走っていると表示され、道に迷った経験がある。ナビを使う方が道に迷いやすいという大変ありがたいナビなのである。もちろん、Jさんのは韓国語表示だが、ナビの言うことなんて大体きまっている。もうすぐ高速から出ろとか、あと300mしたら左へ曲がれとか、レ-ダ-に気をつけろとか、うどん屋に立ち寄れとか...だいたい、スクリ-ンに絵が出るのだから、普通の想像力を持っていれば十分使える。問題は行き先の入力なので、それはJさんにあらかじめ設定してもらった。

ソウルから出て行くあたりで渋滞にあったため、3時間半ほどかかった。紫色の結婚式場が見えてきたので、ナビを終了し、地下駐車場へ車を入れる。駐車場と言うよりガラクタ置き場のような所だった。建物の紫の色は、いくら韓国人が好きと言っても、ちょっと奇抜である。まあ、地方都市にはこのような結婚式場しかないのかなと思って、中に入る。あまり賑っていないようだ。早くつきすぎたのか。レセプションがあって、本日の式の予定表があった、一組だけである。おお、貸切状態かと、念のため、新郎新婦の名前を確認した。ん?Nさんの名前が無い。おかしいな。厄介な事情で、土壇場に新郎が替わったんだろうか?それともNさんが本日から名前を替えたのだろうか??? そして私は重大なことを思い出した。先ほど、ナビを切るとき、あと200mで目的地に到着と表示があったのだ。それくらいの誤差はあるのかな? でも、実際式場に着いたから合っているだろうと、一抹の不安を覚えながら、ナビを切ったのだ。まさか??? 正面玄関から出て道の先を見るとお城のようなビルが見えた。疑惑は確信へと替わる。200m先に別の結婚式場がある...

もう一つの結婚式場は大変繁盛していた。駐車場はいっぱいで、レセプションは年始めのバ-ゲン会場のようである。ホールも3つあった。ようやくその1つに、新郎Nさんの名前を見つけた。記帳も何も無く、ただお祝の入った封筒を受付に出す。「何人ですか」と聞かれ、それが食事の人数だということがわかっていたので、食券?を2枚もらう。会社の人の顔もちらほら見える。受付の前で封筒にお金を入れている人も多い。用意してこないのだろうか?さらに観察すると、なんと、「祝結婚」と印刷された封筒(空)が受付の机に置いてあるのだ。その封筒を使ってお祝を渡している。お祝というより、集金袋のような感じだ。私の出した封筒の裏の名前を見て、「変なやつが来たな、一応知らせておくか」と言うように感じで新郎を呼んでくれた。Nさんに韓国語でお祝を言う。それにしても、この日のこの式場はやたら混んでいた。Nさんが式を挙げるホ-ルはまだ前の団体?が使っていた(もう10分前なのに)。前の団体が出て行って、さっと掃除ができたのは、開式の3分前だった。このあたりは大変大らか?である。

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式が始まる。新郎新婦の母親が2人並んで入場し、前の式台のろうそくに火を点ける、新郎がひとり入場。新婦が父親と手を組んで入場。式台の前に新郎新婦がそろうと牧師さんの説教?が始まる。何を言っているかはまったくわからない。そして、驚いたことに牧師さんは一人であの第九「喜びの歌」を独唱し始めた。え、賛美歌隊とかいないの? 独唱? 何? と思っているうちに歌は終わる。新郎新婦は誓いの言葉をそれぞれが読み上げる。友人であろうか、一組のカップルが賛美歌を歌う。牧師さんよりうまい。そのあと、新郎新婦はそれぞれの両親の前で深々とお辞儀をして退場...その間約20分。牧師さんの話が長めだったので普通より長い式だった。

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後ろを振り向くと、参列していたはずの会社の人たちの姿が見えない。ごはんを食べに行ったのだ。韓国では、式場にブッフェがあり、式の前か後に、参列者はそれぞれ勝手にご飯をたべるというシステムである。いわゆる披露宴は無い。親族の写真を撮り出したので私たちもブッフェ会場に向かう。会社の人たちがいて、「すみません、先に来ちゃって。あと10分で帰りのバスが出るんです」。これまでの経験から、結婚式のブッフェは似たり寄ったりで、特別なものは出ない。でも妻は何故か、「今までで、ここのが一番おいしい」と満足げである。外は寒いし、地球の歩き方で見ても、何も見るものはなさそうだったので、ゆっくりご飯を食べ、帰路に着いた。帰りも約4時間かかった。

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資産管理方法と夫婦喧嘩と絵画教室 [ソウルでのこと]


「3日ほど前、カミさんとすごい喧嘩をしたんです」、例によっておでんですかのJさんが、話し出した。会社の主だった顔ぶれの忘年会の席である。
「ふだんは大人しい私も頭にきました!」、えらく息巻いている。喧嘩の原因は、Jさんの奥さんが、預金口座の残高をマイナス200万円くらいにしてしまっていたことが発覚したことだと言う。
「信じられないでしょう? マイナス200万円ですよ(韓国ウォンで3000万ウォン)」。確かにそれは信じられないような話だ。若いツバメでもできたのだろうか。どうでもいいことが、韓国では若いツバメのことを「ヨンゲ(若い鶏)」という。
「マイナスの預金残高って年9%の利子がかかるんですよ」、憤慨するJさん。よくわかる、桁は違うが、20数年前、うちの妻も、常時預金残高をマイナスに保っていたことがある。「私は、利子の払いを減らそうと、新しい車も買わずに、ロ-ンを早めに返済する努力をしてたのに、200万円のマイナス、9%...しかも、そのことについて私に何の相談もなかったんです」。これだけを聞くととんでもない奥さんだと思うが、もう少し突っ込んでみると若干見方が変わる。

「ところで、Jさん、最近、株の調子はどうですか?」。
Jさんはスマ-トフォンを買ったとき、「雀翁さん、これすごく便利ですよ」というので何がそんなに便利なのかと聞くと、
「ほら、私の持っている株の値段がいつでもリアルタイムで見られるんです」と画面を見せてくれた。
「ほう、それはすごいですね。それじゃあ、Jさん、かなり株で儲けてるんですね?」
「あ、いや、それが、反対です。最近、株価を見るのが怖いんです」。
「へえ、どれくらい負けてるんですか?」
「200万円くらいしょうか」
「それじゃあ、奥さんがマイナスにしたのと変わらないじゃないですか」
「そこなんですよ、ポイントは」...よくわからない
「カミさんが、私に「株に投資して」って、10万、20万とくれるんですよ」
「へえ、Jさん信頼されてるんですね」
「始めの方で15%くらい儲かって、その話をしましたから」
「損した話はしてないんですか?」
「そんなこと、できるわけないでしょ。私にもプライドがあります」
「じゃあ、奥さんは今でも株で儲かってると思ってるんですか?」
「そうみたいです。それで、カミさんは銀行からお金を引き出して、残高をマイナスにして、私に株に投資しろって、お金を渡してくるわけです」。
「でも、残高をマイナスにしたら金利がかかるって、奥さんは知らないんですか?」
「はっきり知らなかったようです。でも、仮に9%の金利が掛かっても、株で15%儲かればプラスじゃないかって言うんです」
「確かに理屈はそうですね。ただし、金利は必ず掛かりますが、株で15%儲かる保証はありません。実際、Jさんは損してるんでしょ」
「私も、カミさんがくれるお金が、残高をマイナスにして作ったお金だと知っていたら、株なんか買いませんよ」
「要は、夫婦間のコミュニケ-ション不足と、変なプライドと、金融商品の知識不足が生んだ、夫婦共犯的悲劇と言うことですか?」
「え、そうなりますか?」
「客観的第3者から見ると、そういう風に見えますが。ところでJさん、給料は全部奥さん管理してるんですか?」
「給料はそうです」
「給料はって、他にあるんですか?」
「ボーナスは隠しています。当然でしょ。そのうちの10%くらいをキャッシュで渡しています。その時だけはすごく感謝されるんです」
「じゃ、残りの90%は?」
「もちろん、自分の小遣いにしています。飲みにいったり、いろいろあるでしょ」

そこまで聞いていた他の人も会話に入ってきた。
「私は、いくら給料をもらってるか家内に言ってませんよ。定額だけ毎月渡すんです。渡しただけ使われてしまいます。そして、定額渡してても、何やかんやと追加で請求が来ますが...」、H社長が言う。
「雀翁さんは?」
「うちは、日本にいた当時、全額妻が管理していました(いや、単に使っていました)。私は、ATMカ-ドを持たされていませんでしたし。でも、海外に出てからは、銀行の手続きがややこしいとか、ATMの言葉がわからないとがか言って妻は銀行に行くのを拒否したんです。仕方なしに、ここ15年ほど私が管理しています。」
「そんなの夫婦のうちどちらか、お金の管理能力のある方が握ってればいいんじゃないですか?」、Hマーケティング・マネ-ジャ-(女性)が言う。彼女は、自分の収入とご主人の収入の両方を管理し、着実に増やしているらしい。
「うちは、両親と妻、そして4人の子供の7人が私の肩に乗っかかてるんです。辛いです」、Bセ-ルス・マネ-ジャ-が泣きを入れる。

1次会が跳ねて、「もう一軒」というJさんに連れられて、ワインを飲みに言った。
「最近、絵を始めたんです」
「気でも違ったんですか?
「いたって正常です」
「油絵とかですか」
「いえ、まだデッサンの勉強中です。直線を定規なしで引くのって難しいんですよ」
「勉強中って、絵画教室に言ってるんですか?」
「いいえ。DVDの先生が教えてくれるんです。」
そう言って、Jさんは鞄の中から、i-Padを出してJさんの先生を見せてくれた。
「ほう、すごいですね。で、どれくらいやったんですか」
「3時間です」
「はあ(ため息)、Jさん、自転車はすごくいいって言って、3ヶ月くらいで止めましたよね。確かその後は、ギタ-をやりだして、それも数ヶ月。今度は絵ですか?来年は何をするんですか?」
「バカにしないで下さい。来年も絵です」

今日はワイン一本で帰ろうとお勘定をした。いや、お勘定をしようとした私の手から、Jさんが無理やり請求書を奪い、払わせてもらえなかった。これも、Jさんが奥さんに隠しているボ-ナスから払われているのだと思うと、少し罪悪感に心が痛んだ。


後日談 1:金正日の死亡が発表された日、Jさんは「ああ、もう終わりだ」と嘆いた(株価が下がったので)
後日談 2:「これ、先週末描いたんです」Jさんが、スケッチ画を見せてくれた。よく出来ていた。「今度は、雀翁さんの肖像画を描きましょうか?」「...絶対お断り...」

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ある日のタクシ-での会話 [ソウルでのこと]


「ヨイドまで言ってください」、完璧な(つもりの)韓国語で、タクシ-の運ちゃんに行き先を告げる。「お客さん、日本人ですか?」、行き先を告げただけで見破られる。私の韓国語にはまったく進歩がない。何の努力もしていないから、当然と言えば当然だ。しかし、何故、「中国人」や「モンゴル人」、「エスキモ-」、または「フランス人」ではなく、「日本人」とわかるのか。

「(日本の)どこから来たんですか?」、「神戸です」、「ああ、六甲山、それに、ルミナリエ...」。なかなかの通であるらしい。日本語もかなりできる。「日本に住んでたんですか?」、「いいえ、仕事でよく行きました」。タクシ-の運ちゃんが仕事で神戸に?「ルミナリエを見たんですか?私は見たことがありません」、「人いっぱい、でもきれいね」。「何の仕事で日本へ?」、「くつした関係です」、「え、くつした関係?」、「そう、生産地と日本のお客さんを繋ぐ仕事です。でも、2年前に不渡り。お客さんが破産したんです。3千万くらい」、「それは、大変でしたね」、「その後、中国に行きました、同じ仕事です。でも中国も高くなりました」、「そこは、どうなったんです?」、「同じ。破産。だから、今はこれ。ハハハハ...」と笑ってハンドルをポンポンたたく。「来年、バングラデッシュ行きます」、「え、バングラデッシュ?何しに?」、「何しにって、同じ仕事です。あちらでくつした作って、日本やアメリカで売ります」。くつしたはそんなに儲かるのだろうか。「バングラデッシュの治安どうなんです?安全なんですか?」、「大丈夫思います。友達はラオスでやってます」、「ああ、ラオス。いい所ですね」、「いい所?でも、インフラが何もないよ。工場、人間、青い空、それだけ」。「韓国はとても金持ちのように感じます。デパ-トとか、コ-ヒ-ショップとか、すごく高いですよね。それでもお客さんがたくさんいる」、「そう、高い!でも、1つ例外ある。これです。ハハハ...」と笑ってまた、ハンドルをポンポン叩く(確かにタクシ-は安い)。

20年前、何人かの韓国人に、「ずっとこの会社で勤めるつもり?」と聞くと、3人に2人は、「いいや、会社を作って社長になる」と答えた。率は減っているだろうが、起業家精神(Entrepreneurship)は相変わらず旺盛のようである。今、日本でどれくらいの人が、「バングラデッシュでくつしたを作って...」などと考えるだろう。

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