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7月と8月の読書、「しずかな日々」、「41番の少年」、「さがしもの」など [本]

予定では、カナダにいる間にたくさん本を読み(ロッジのデッキで熱いコ-ヒ-を片手に読みふけるという渋いイメ-ジ)、7月の読書量は膨大になるはずだった。でも、実際は、高山植物の写真集とカナディアン・ロッキ-のハイキング・ガイド以外の本は一切読めず、辛うじてバンク-バ-からインチョンへ戻る飛行機の中で1冊読んだだけだった。帰国後も、何故か本を読む気になれず、8月の最終週、辛うじて2冊読んだ(薄い本だった)。結果として、2ヶ月で5冊という、これまでの平均値を大きく下回る読書量となり、自分でも少なからず狼狽する。ただ、最後に読んだ「さがしもの」がとてもいい本だったので、この本をはずみに「読書の秋」に入っていければと思う。


「しずかな日々」、椰月美智子
「ルポ 貧困大国アメリカ」、堤未果
「41番の少年」、井上ひさし
「妻と罰」、土屋賢二
「さがしもの」、角田光代


「しずかな日々」、椰月美智子
少年を主人公にした小説はたくさんある。それらの少年が、元気いっぱいの男の子ではなく、ナイ-ブで何か心に問題を抱えたた男の子の場合、それらの多くが女性の作家によって書かれているような気がする。女性には少年の気持ちがわかるのか、それとも、少年の立場を想うのが好きなのか...私は、後者が強いような気がする。小学5年生の少年、「えだいち」を主人公にしたこのお話。読んでいてほんとうに楽しかった。「えだいち」というニックネ-ムのエピソ-ドも、切なく、懐かしく、そして暖かい。少年の楽しい日々が短かかったように、この本もあっと言う間に読んでしまった。母に対する違和感、祖父への信頼、そして友達を得た喜び、その友人たちを全人格的に受け入れて行く過程...最終ページに至り、私は自分がひどく感傷的になっているのに驚いた。本を読んで涙を流すということはほとんどないが、どういうわけか、この本の最後の1ページに、涙がにじんだ。けっして悲しいからではない。それは、自分の遠い少年時代に対する郷愁が、じわっと感傷の小さな塊を持ち上げたような感じだった。少年時代の友達とは、中学・高校・大学・就職と段階を経るに従って、その付き合いが希薄なものになっていく。しかし、彼らは、心の一番奥のところに、何を語るでもなく、いつも居てくれる。私は、巻末の「解説」をほとんど読まないが、この北上次郎の「解説」もよかった。そしてなぜ自分が感傷的になったのかも少しわかった。このお話は、一貫してとても「しずかなトーン」で書かれているのだ。漬物をうまく漬けられる大人、自分の人生にきちんとけりをつけることのできる大人になりたいと思った。


「ルポ 貧困大国アメリカ」、堤未果
現在のアメリカの貧困問題を、主にイラク戦争への米軍のリクルート活動に焦点を当てて書かれたルポルタージュ(岩波新書)。読んでいて救いがないと感じる。もちろん、救いがあろうとなかろうとそれらは現実であるが、解決策、またはそのヒントが提示されていないルポにはいらだちしか残らない。
アメリカ貧困層の肥満の問題は、彼らが怠慢なのではなく、貧困ゆえ政府支給のわずかな食料クーポンでカロリー重視の食生活をしなければならないからだいうことはわかった。貧困層が生活苦から、まるで騙されるようにイラク戦争にリクルートされていくのも悲しい現実だろう。違法移住者がアメリカ国民としての権利を獲得できず、貧困にあえいでいるのも悲惨である...しかし、だからどうだと言うのだ。どうしたいと言うのだ。アメリカの付加価値税を30%にして、貧困層を救えと言うのか。中国からの輸入を禁止して、国内産業を保護しろというのか。アメリカに共産主義を導入しろと言うのか。貧困層がイラク戦争に駆り出されるのが問題で、富裕層なら戦争に行ってもいいのか。そもそも、戦争そのものを支持するのか。法を破ってアメリカに移住することは良いのか?彼らの出身国には責任がなく、それは勝手に移住されてしまうアメリカ政府の問題なのか。この本、いやこの手の問題を投げかけるジャーナリズム、または、それらを訳知り顔で指摘し誰かの顔を指さすだけの偽善者たち(あえてそう呼ばせてもらう)は、物事の本質、根源的理由を、無知からか意図的かは知らないが語らることをせず、結果としての部分的問題だけを取り上げ、「さあ、問題だ」と言う。
税金を上げることには反対だが、福祉にもっと金を使えという人。失業問題が深刻なのに不況で存在すらしなくなった職種の職業訓練をしようという人。化石燃料からのCO2を減らし、原発もなくし、でも電気は今まで通り使いたい、そして再生可能自然エネルギーの開発はすべきだが、そのための金は払いたくないという人。復興は大事というのは建前で、それより自分の選挙が(選挙だけが)大事だと考える政治家... 

「一生、好きを言ってろ」と思ってしまう。確かに、ジャ-ナリズムの責任は、「問題提議」であって「問題解決」ではないのかも知れない。でも、そこに線を引いてしまうと、人間として何か間違っているように思えてしまう。批判だけをする人の何と多いことか。もちろん、私も人のことは言えない。


「41番の少年」、井上ひさし
カナダからの帰りの飛行機の中で読んだ。カナダの(カナダだけでなく欧米一般的に)ホテルの部屋の照明は暗く、読書には適さないのもあるが、ロッキ-にいるという高揚が本を必要としなかったのだ。
さて、この本、井上ひさしの「少年時代の自伝的小説」と銘うってある。少年が孤児院で過ごすスト-リ-である。孤児院という、家族から離れ、一種閉鎖的な環境で生きる少年たちの姿がとても切ない。「41番」は彼が与えられた洗濯番号(洗濯物に書く番号)で、彼がその孤児院に入った41番目の子供であることを意味する。ずいぶん昔、「拓郎」がとある容疑で金沢の警察に留置されたことがあった。コンサ-トで「拓郎」は、「そこでは、名前ではなく2房って呼ばれるんです」と序*区を交えて話していた(彼が入れられた留置場が2番目の房(部屋)だった)。人が名前でななく、番号で識別されるのは辛いことだろう。何回か、少年や、その弟、母親が葉書で連絡をとる場面があり、そのそれぞれがその生活の辛さを表している。「孤児院は、他に行く所がなければとてもいい所だけれど、もし他に行く所があるなら、一瞬でも居たくない場所です」と少年は話す。何と悲痛な言葉だろう。「夏休みはとても'忙しい。日替わりでボランティアが慰問に来たり、キャンプ、花火大会、一日親の会などに招待されくたくただ...」、孤児院への善意の行動(?)が、子供たちを疲れさせそしてますます孤独にしていく。「社会が子供を育てる」とある政党は言う(言った?)。理念には賛成だが、その方法が均一にお金を配るということには賛成できない。もっと根源的な何かを、日本と言う国は見失っているような気がしてならない。


「妻と罰」、土屋賢二
相変わらず、たいへんばかばかしい土屋教授の本。読むことが恥ずかしくなるくらいばかばかしいが、ついつい買ってしまう恐ろしい土屋マジック。その根本は、哲学的論理構成とその破綻である。かつて桂枝雀が言っていた、笑いを構成する「緊張と緩和」がそこにある。しかし、あまりにばかばかしいので、他の人に読むことを勧められないし、私が読んでいることもを知られたくない(なら、ここに書くな)。


「さがしもの」、角田光代
本にまつわる短編集。とても、読み心地のいい本だった。そのせいか、知らぬ間に2冊買ってしまっていた(今、うちの本棚には2冊同じ本が並んでいる...)。
クリスマスの朝、「アンデルセン」や「アラビアンナイト」が枕元にサンタの長靴といっしょに置いてあった小学校低学年の頃。図書館の本を片っ端から借りまくった小学校高学年の頃。なけなしの小遣いで、星新一、松本清張、高木彬光を買っていた高校生のころ。「司馬遼太郎」を読まざれば歴史を語るべからずと思っていた20代前半。藤沢周平が亡くなったことを嘆いていたころ...私の生きてきた多くの時間が本と関わっている。それらから学んだり、感じ取ったものは計り知れない。本屋さんはワンダー・ランド、アマゾンはス-パ-・エンタ-テインメント・サイトである。
「さがしもの」に出てくるエピソ-ドは決して波乱万丈のスト-リ-ではなく、静かなお話したちだ。いわいる古本屋に関する話もある。自分の売った本に異国で出会ったり、メッセ-ジが書かれた本を探したり、死期を迎えたおばあさんのために絶版になった本を探したり...私は、古本屋とはほとんどかかわりを持ったことがない。バンコクに住んでいた当時、新しい本が紀伊国屋で日本の6割り増しくらいで売られていた。一方、約3万人の日本人が住むというバンコクならではの古本屋があった。転勤族が置いていった本がほとんどだろう。たいした本はないが、市価の半値ほどで買えた。しかも、場所は地下鉄駅のすぐ横だ。どうでもいい本を何冊も買った。ただ、それらには、小説になるような感動的なエピソ-ドはない。最近は、すっかりアマゾンで本を買うことが多くなった。老後の楽しみは、近くの本屋に入り浸ること、そして街の図書館でくだを巻くことである。

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6月の読書、「輝ける闇」など [本]

6月の読書、「輝ける闇」など

暑くなってくると、週末のハイキング、朝のスタ-ト時間が早まる。その分、帰宅時間も早くなり、午後は昼寝や読書の時間となる。室内温度が上がらないようカーテンを閉め、ゆるい音楽を流しながら本の中に身を投げると、たちまち魂は浮遊を始める。


「風のかなたのひみつ島」、椎名誠
「背いて故郷」、志水辰夫
「震度0(ゼロ)」、横山秀夫
「名短篇、ここにあり」、北村薫、宮部みゆき編
「輝ける闇」、開高健
「今朝の春(みをつくし料理帳)」、高田郁
「日本はじっこ自滅旅」、鴨志田穣


「風のかなたのひみつ島」、椎名誠
久しぶりに椎名誠の本を読んだ。椎名誠と言えば「怪しい探検隊」、「怪しい探検隊」と言えば、孤島である。島の浜で男ばかりのキャンプ、怒涛の連日豪食豪飲の大宴会、口から火を吹く男、怪しい歌を歌う男...しかし、本著は違った。静かに島を訪ね、お行儀よく?民宿に泊まり、車で島を回る。ん?ちょっと違うやん? しかし、それはそれで心地よい。椎名誠の本領発揮、旅の随筆?は垂水健吾の美しい写真とともに、少し年を重ねた僕たちを遠い島に運んでくれる。ここに紹介されたすべて島に、行って、プハ~っとビールを飲みたくなる。浮き玉三角ベースをやりたくなる。表紙の見返りの著者の紹介を見ると、「1944年東京生まれ...」、僕の計算が正しければ、椎名誠は67歳。えっ?67歳? まさか?計算を繰 り返す。どうやら間違いない。こう見えても、僕は数字の専門家だ。二桁のたし算には自信があるし、引き算もかなりの確率で正解する。椎名誠がいつの間にか67歳...ちょっと感慨深い事実である。

某週刊誌連載(まだやってるのかな?)の「新宿赤マント」はつまらないが、彼の旅の話は楽しい。これからも、読み飛ばしてきたものを拾っていきたいと思う。驚いたのは、著者が「怪しい探検隊」ならぬ「ヤドカリ探検隊」なる話を小学校の国語の教科書に提供し、それが広く読まれているということである。それゆえ離島の学校に行くと、子供たちにも慕われるということだ。純真無垢な子供たちが、間違っても、「哀愁の街に霧が降るのだ」などのヨタ本を読まないよう学校や父兄は子供たちを導く責任がある。さもなくば、日本のビ-ル消費量が爆発的に増える危険性がある。

「背いて故郷」、志水辰夫
この作者の本も久しぶりだ。本格的ハード・ボイルド... ハード・ボイルドは読んでいて大変面白いが、大きな問題がある。それはある線を境に現実味がなくなるということだ。主人公は、どんなに物理的にやられても決して死なないし、考えられない回復力を見せる。これはフィクションだからと自分に言い聞かせるが、読んでいて気になって仕方ない。「そんな奴おらへんやろ」と言いたくなる。また主人公の周りには、今の日本には絶対存在しないような女の人が、しかも複数人いるのも腹が立つ...じゃなくて、現実味がない。でも、これらを引き算しても、読ませるハードボイルドは楽しい。
本書はロシアのスパイ行為をモチ-フにした筋書きだが、実際そのスパイ行為の内容にはほとんど触れられていない。何人もの人が殺されていくのに、その理由が鮮明ではないのはどうしたことか。人の内面に踏み込んだ話なので、スパイ行為はテ-マではないと言われればそれまでだが、読者として若干納得できない。やはり、殺人事件にはそれをサポ-トする確固たる動機が欲しい。

「震度0(ゼロ)」、横山秀夫
これまた大変しばらくぶりに横山秀夫の本を読んだ。本棚にはずっと並んでいたようだが(いつ買ったのか覚えていない)、手が出なかった。彼の得意分野、警察組織の中のいろんな葛藤を軸に描いている。同じ警察組織の中でも、キャリア(国家公務員エリート)と地方(じかたと呼ばれる地方公務員)の間には深くて暗い河がある。捜査の局面でそれらがぶつかり、摩擦音を鳴らす。ほんとうのことだろうか? 当然フィクションのサスペンスであるから、興味がわくように書いてあるのだろううが、まったくの作り事とは思えない...本編は、神戸の震災、警務課長の疾走、県警本部内のパワーバランスの争いなどをからめて話が進展する。横山秀夫なのでおもしろくないわけがない。そして最後に、「正義とは?」という大きな疑問符が投げかけられ、話は終わる。

警察が内部の犯罪や不始末を隠ぺいしようとすることは、実際の社会でもよくニュースになっている。結果として、隠すことによって警察全体への信頼を失わせることが多い。なぜ隠すのだろう。市民は警察官全員が正義の実践者だと思っているという妄想でもあるのだろうか。どんな組織にも反社会的な人がいるし、どんな人でもいつ何時反社会的行動をする可能性があるのだ。それらを公にし、公正に裁くことを市民は望んでいると思うのだが...組織の管理責任を問う声があるが、大きな組織の全員が、絶対間違ったことをしないなんてことはあり得ない話である。そんなあり得ないことを求める市民団体、専門家、メディアは「妄想」を続けているとしか思えない。そしてその追及を恐れ、間違いを隠す組織...いたちごっこである。
それは、ごたごた続きの政治組織にも言える。自分の組織の会計報告を透明性を持って公開できず、ましてや人に任せていて知らなかったなどという人に、政治家はできないと思う。またそういう人に、繰り返し投票する人は、申し訳ないが、いったい何を考えているのかと思ってしまう。東電にリストラを求め給与カットを指示する政治家(与党野党ともに)・高級官僚の何人の人が、過去の自分たちの国会での提案や採決に責任を取り、リストラや給与カットを申し出ているのだろう?バカらしくて彼らのコメントは聞く気のもなれない。


「名短篇、ここにあり」、北村薫、宮部みゆき編
どんな作家の本を買ってよいかわからい時、特に興味を引く本が見あたらない時など、ふと、このようなアンソロジーを買ってみる。するとそんな中から、それまで買ったことのない作家のお話に出会い、ちょっと買ってみようかなと思ったりする。
ただ、この短篇集、よく見ると、作品の著者たちは全員すでに他界されていた。いろんな文学賞の選考者である北村薫や宮部みゆきにすれば、現役ではなく、そういう過去の偉大な作家たちの中から選び出す方が抵抗なく作業ができたのだろう。でも、私の目的にはちょと合わないようだ。今から、読み始めるには、やはりこれからも作品を生み出してくれる作家が望ましい。
半村良の「宇宙人」、とてもおもしろかったし、井上靖の「考える人」は井上靖らしい作品で深かった。初めて読んだ黒井千次の「冷たい仕事」は理屈抜きに楽しいし、これも初めて読んだ円地文子の「鬼」は、きっと著者らしい作品なのだろうと思う。多岐川恭の「網」は、ミステリ-としては穴だらけで意味がわからなかった(投網で溺死させると言う発想は珍しいけど、実行性や証拠隠蔽がほとんど考えられていない...)。その他、松本清張、小松左京、城山三郎、吉村昭、吉行淳之介、山口瞳 、戸板康二など大御所が見白押しだった。

「輝ける闇」、開高健
今更ながら、この本を読んでよかったと思う。ベトナム戦争は、私たちの年代にとっては、大学紛争にように、「過ぎ去ってしまったこと」としての存在で、直視してこなかった。ものを見て自分で考える能力を持つ前に、それらは終息していた。だからと言って、「知りませんでした」で済ませていいものではない。戦争に正義などない。あるのは殺戮と悲惨と無慈悲である。それは、開高健にヴェトナム戦争の例をとって教えてもらわなくても、観念的に理解しているつもりだったが、改めて、それをもう少し理解した気がする。弾が飛び交うジャングルで命を懸けて敗走するラストシ-ンより、真っ暗なガレ-ジの中で、ト-ガ(ベトナム人娘)の身体に埋もれていく著者の心のうめき声が苦しい。
偶然か、この本を読んだ日、NHKで沖縄戦に参加した元アメリカ海兵隊員を父親を持つ、ピュ-リッツァ-賞を受賞したことのあるアメリカ人ライタ-?が、沖縄で何があったのかを知るため、当時の海兵隊員へのインタビュ-などを経て、沖縄を訪ねるルポルタ-ジュを放送していた。私は、私たちが何も知らないということを悲しいほど痛感した。沖縄戦で家族6人を殺された沖縄の老人が最後に、ライタ-の目を見つめ問う。「アメリカの正義とは何なのか?」と。この魂の問いは、一人アメリカに向けられたものではない。14歳の少年たちを徴兵して死地へ追いやった日本軍、遠く大陸やアジアの島々を占領した日本政府。それをあえて止めなかった人々..そして、私たち一人一人。私たちの正義とは何なのですか。

「今朝の春(みをつくし料理帳)」、高田郁
すでに、シリーズ4作目。安心して読める、そしてとても楽しいお話だ。今回登場する「寒鰆の昆布締め」なる料理。食べる者が言葉を失い、黙って手を合わせて帰っていく...それがどんな味を現すのかよくわからないが、これまでのお話の展開から、料理人の心のこもった逸品だということが伝わってくる。友を想い、決して結ばれることのない人を想う澪の包丁が、寒鰆という難しい素材(どのように難しいか私にはわからないが)に命を与える。「退職したら、まず料理学校へ」、それが私のささやかな夢である。でも、それは決して誰かのためになどという高尚な動機ではなく、自分のためにおいしい酒の肴を作りたいという単純なものではある。友人の一人が、「料理は化学である」と言った。温度、反応、変化...まさに言い得て妙である。

「日本はじっこ自滅旅」、鴨志田穣
西原理恵子の元旦那と言った方が通りがいいのだろうか。私は、著者のジャーナリストとしての働きを知らない。アルコール依存症というやっかいな病をかかえて、日本のいろんな「(地理的)はじっこ」を巡る旅が、淡々と描かれている。正直言って、読んでいるとどんどん辛くなってくる。著者には旅を楽しむという点が欠如し、ただ文章を、記事を書くために旅をしている。酒を飲む姿も、とても痛々しい。あまりお薦めできない本である(こんなことを書くと営業妨害になるかなあ)。自分の身体のことを思い始めたとき、残念ながら著者は川を渡ってしまった。
この本を読んでいるとき、NHKで日本の秘境(?)をバスで旅するという番組を見た。訪ねた先は、四国の祖谷(いや)である。天空の村と言われるように60軒ばかりの家が標高差400mほどのところに散在している。村人も「一番上の家までは行ったことがない」などという。、地理的には「はじっこ」ではないが。交通的にはあきらかに「はじっこ」である。「四国のお遍路完歩(ただし宗教的なことは何もしない)」は退職後の1つの目標だが、同じ四国の中にそのような場所があるのに感動し、そして同時に、日本中に第2第3の祖谷があるのだと思った。

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5月の読書、「五千回の生死」、「海のふた」、「日本史集中講義」など [本]

暖かく(暑く?)なって、週末も外に歩きに出ることが多くなった。
不思議と読書の時間は減らず、逆に歩いた分、読む量も増えたように思う。


「五千回の生死」、宮本輝
「Reverse リバ-ス」、石田衣良
「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」、竹田恒泰
「カッシーノ」、浅田次郎
「海のふた」、よしもとばなな
「日本史集中講義」、井沢元彦
「田村はまだか」、朝倉かすみ


「五千回の生死」、宮本輝
宮本輝の本は、ある程度読んでいる。私は、いわゆる「純文学」というジャンルのものはあまり好きではない。理由は単に面白くないから。この「五千回の生死」は、たぶんその「純文学」に属するものだと思う。でも、面白かった。面白さなんて、結局、そのときの精神状態やその時までに溜め込んだ経験、感受性、そして単なるその人の嗜好によるだろう。子供は筑前煮があまり好きではないし、ピ-マンを焼いたものも好まない。トマトとモッツェレラチ-ズのサラダが大好きという子供も少ないだろうし、焼き魚のはらわたを食べるなんて考えもしないだろう。それは、子供の身体が要求していないという物理的な面もあるが、子供の舌がそれらの味を賞味するだけの経験や能力を持っていないからだ。本の好き好きも、そんなものだ。年を重ねないと理解できない、面白いと思えないことがたくさんある。この「五千回の生死」を20歳の時、いや30の時に読んいたら、きっと「つまらない」と感じたと思う。「お金に窮した主人公は、欲しがっていた友達にレア物のジッポ-のライタ-を売りに行ったが友達は留守だった。失意の帰り道、電車賃がなっかったので主人公は歩いて帰ることにした。すると自転車の後ろに乗せてやるという男に出会い、その男は1日に五千回死にたいと思ったり生きたいと思ったりする」という話しのどこがおもしろいのか、「だから何? 結末は? 落ちは?」と突っ込み、「こんな本、時間とお金の無駄やった」と嘆いたことだろう。実際、客観的に文字の上をなぞっていくと、ほんとうに「つまらない」のだ。それは、ピ-マンやトマトが青臭いのと同じである。でも、年齢は、その青臭さをいとおしみ、楽しむ術を授けてくれる。ありがたいことである。

「Reverse リバ-ス」、石田衣良
こどもの日の朝、南漢山城でちょっと歩き、午後、3時間ほどでこの本を読んでしまった。読みながら、「そんな都合のいい話はないよな」と思った。いわゆるヴァ-チャルな世界で知り合った男女。あるネットワ-クに男は女性として登録し、女は男性として登録する。ちょっとしたいたずら心で始めた2人だが、2人の間で交わされる本音のメールは、お互いを惹かせ合い、それゆえ性を偽っている自分たちを責める。偽っているが故に、会うことが出来ないはずの2人なのに、物の拍子でいわゆる「オフ会」へと発展してしまう。そこからは、ほとんど想像通りのまっすぐな展開が待っている。少し意外性があってもいいんじゃないかと思うほど単純な展開だ。途中、「プラダを着た悪魔」のパクリ?が入り、「電車男」を思わせる人物像が見えたりする。こんな事を言っては何だが、売れっ子作者が時間に押されて書いた、あまり、上質ではないチ-プなエンタ-テインメントに見えないこともない。残るものは少ない。
自分の本音を語る・語り続けることができ、それを受け止めてくれる友人や家族がいるということは、大変稀有で幸せなことなのだろうと思う。ヴァーチャルな世界ではそれができても、それが現実世界と交差した瞬間に同じことができなくなってしまう...人間ってほんとうにややこしい生き物だと思う。

「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」、竹田恒泰
タイトルを見て、「ん?」と思った。世界で一番人気がある? 日本が?、気になって買った。うまいマ-ケティングと言える。私は簡単に釣られた。前回、ほぞを噛んだPHP新書だ、作者のバックポーンを見ておこう。「なになに、旧皇族、竹田家に生まれる、明治天皇の玄孫...」、う~ん、これは油断できない。勉強不足で「竹田家」なるものの存在さえ知らなかったが、旧皇族の方が書いたのなら、天皇に関する記述は、失礼ながら眉に唾をつけて読まねばなるまい。初っ端から、いろんな統計値を出して、日本に対する評価が、我々の想像に反し、かなり高いという点から話が始まる。著者によれば、和を尊び、勤勉で、謙虚で、技術力にも優れ、自然を大切にするすばらしい国だという。それらは、説得力のある論理の展開でいちいちうなずかされる。私も海外生活が長くなり、日本のいいところはたくさん見えるようになった。日本が好きだし、日本に生まれ育ったことをとても幸運だと思っている。著者は大切なことを2つ言っている。一つは、明治維新を機に、欧米に追い付け追い越せと頑張っているうちに、日本は大切な何かを置き去りにしてきたということ。そして、「和して同せず」という肝心なことを忘れ、日本人の大半が「和」から「同」へと流れてしまっていることである。日本人は日本をもっと大切にすべきだと思う。
ただ、著者の論点に賛成できない点がある。それは、著者が科学的・論理的考証をせずに、「天皇がいるからこその日本」的発言を繰り返していることである。私は、皇室の存在には極めて懐疑的である。たとえそれが世界一古い王室であっても、その根拠が「世襲」であるという一点においてそれを支持することができない。今上天皇と皇后は、素晴らしい人だと思っている。よく知らない人を尊敬するということはあまりないことだが、私はこのお2人を尊敬している。それでも、それはそのお2人のされていることやそのお考えに対してであり、決して世襲の血に対してではない。

「カッシーノ」、浅田次郎
あの浅田次郎がヨーロッパのカジノでギャンブル三昧という本だ。久保吉輝による多数の写真が美しい。本来貴族の社交場であったカジノは、どこも豪華で華麗である。ドレス・コードも厳しく、作者もタキシード姿で鉄火場に登場する。ヨーロッパのカジノにはしっかりした文化、もっと言えば、哲学があるような気がする。「電気の無駄な消費」と某自治体の長に槍玉に挙げられた「パXンコ」とは少し違う。
私は、学生時代と社会人の初期、仲間内で小さな賭け麻雀をやったことを除けば、ギャンブルとはほとんど縁がない。競馬場に行ったことも馬券を買ったこともない。何かの拍子で旅先のカジノを覘いたことは数回あるが、火傷をするほど入れ込んだことはない。カジノは基本的に、いや絶対に胴元がもうかる仕組みになっている。長くやればやるほど胴元に金が集まる。
博打小説は好きだ。ことに阿佐田哲也の「麻雀放浪記 全4巻」は、何度も繰り返し読んでいる。博打には人生があり、哀愁があり、そして哲学がある。登場人物はどうしようもない人ばかりであるが、とても魅力的である。絶対にハッピーエンドにならないのに、数知れぬ人が博打の森へと迷い込む...

「海のふた」、よしもとばなな
よしもとばななは不思議な作家だと思う。彼女の本を読み込んだわけではないが、数冊の本のそれぞれに感銘を受けた。この本には「まりちゃん」と「はじめちゃん」という2人の若い女性が登場する。「はじめちゃん」は小さいころ家で火事があったとき、顔を含めた身体半分に火傷をおう。この「はじめちゃん」の設定を読んだとき、私は同じクラスにはなったことはないが、小学校の同級生である「Tさん」を思い出した。Tさんの顔には大きなあざがあった。それが生まれつきのものか、何かの事故でそうなったのかは知らない。でも、確かに、Tさんは心無い中傷の言葉を投げつけられ、傷つき、つらい学校生活を送っていたと思う。今になって思えば、どうしてもっと「普通」に接することができなかったのかと悔やまれる。「何かをした」わけではないけれど、Tさんとは一言も言葉を交わしたことがなかった。クラスが異なれば言葉を交わす機会はほとんどない。でもやはり私は「何もしない」ということを無意識に選択していたのだと思う。火事のとき、「はじめちゃん」を助けようと、おばあさんは身体を張って「はじめちゃん」を守った。そのおばあちゃんが亡くなり、それを機に親戚同士の見苦しい遺産の奪い合いが始まる。愛するおばあちゃんを失った傷心の「はじめちゃん」は、お母さんの友人の所へ、ひと夏避難する。そこは西伊豆のよく言えば「ひなびた」、正直に言えば「すたれた」温泉場だった。そのすたれていく町を何とかしたいと思いながら、カキ氷屋を始めた「まりちゃん」が、「はじめちゃん」のお母さんの友人の娘だった。話しのほとんどは、この2人の会話と、そして「まりちゃん」の心の中の言葉でなりたっている。読後感は最高にいい。「慈悲と無慈悲のバランス」という言葉が文中にあり、なんだかとても印象に残った。

「日本史集中講義」、井沢元彦
現状の日本史教育に批判的立場をとる著者の本だ。アマゾンのコメントを見て購入した。私にとって高校の日本史は最もつまらない授業の一つだった。それは基本的に暗記、しかも漢字の書き取り付きの暗記だった。暗記も漢字もきらいな私には、好きになる要素がまったくない。しかもその授業のとっつきは、どう考えても 興味のわかない「縄文時代」から始まるのである。ほんとうに文部省は日本史を教えようと言う気があるのか、ほんとうじは教えたくないど教えないわけにはいかないので、学生が興味を持たないように工夫しているのかと疑いたくなる。まじめな私にはめずらく、日本史の授業はよく寝た。
もしこの本が教科書だったら、私の高校生活は大きく変わっていただろうと思う。少なくとも、授業で寝る回数はもっと少なかっただろう。例えば、秀吉の「刀狩り」の本当の意味が初めて分かったし、信長の「楽市・楽座」の必要性とその効果も目が覚めるようにわかった。聖徳太子の創ったと言われる「憲法17条」が、坂本龍馬の「船中八策」を基にした「五箇条の御誓文」へと繋がる流れ。まさに目からうろこの連続である。黒船に乗って恫喝的態度で日本の鎖国政策をこじ開けたペリーの意図したことも大変興味深い。もちろん、著者の言うことが100%正しいとは思わない。独自の解釈により、無理な説明をしている部分もあるかと思う。それでも、歴史はおもしろいものだということを教えてくれる一冊だ。

「田村はまだか」、朝倉 かすみ
小学校の同窓会の3次会、遅れてやってくるはずの「田村」を待つ、40に手の届いた中年5人の元クラスメ-トと、彼らが田村を待っている場末のスナックの主人の物語。読者は当然、「田村」とはどんなやつなのか気になってペ-ジをめくるが著者はそんなに親切ではない。なかなか「田村の像」の焦点が結ばない。「田村を待つ間に、元クラスメ-トたちは酔っ払っい、そして徐々に5人の関係、田村の人物像などが明かされていく。そして結局、田村は現れず、逆に5人の友人が田村のもとへ足を運ぶことになる...
待ち人の名前は、「田中」でも「木村」でも、はたまた「村田」でもよいのだろうが、著者は小学校の同窓生のあるべき名前として、「田村」を選んだ。巻末に短編、「おまえ、井上鏡子だろう」という作品を載せていることから(井上鏡子は中学校の同級生)、著者はある種の名前フェチなのではないかと推察される。同じ内容で、もし、「田村はまだか」ではなく、「伊集院はまだか」や、「鮫島はまだか」、または「青山はまだか」では、作品が成り立たなくなるような気がする。「浜口はまだか」や、「木下はまだか」は許されるが、「金沢はまだか」とか「水戸はまだか」では、鉄道小説と勘違いされる。私は、この本から何を読み取ったのだろう?

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4月の読書、「ワイルド・ソウル」など [本]

被災者のことを想い、原発の展開に心を痛めても、何事もなかったように、季節は巡る。桜は咲き、そして散っていく。自然とはかくもありがたく、そして残酷なものか。心静かとはいかないが、4月の陽を受けながら本のペ-ジをめくる。


「ワイルド・ソウル 上・下」、垣根諒一
「こちらの事情」、森浩美
「世界をつくった八大聖人」、一条 真也
「雨にぬれても」、上原 隆


「ワイルド・ソウル 上・下」、垣根諒一
本の帯に「棄民政策」という単語を見て、どこか外国の話だと思ったが、驚いたことに日本の政策だった。もちろん、この本はフィクションなので、どこまで事実を基にしているかは不明である。戦後、高度成長が始まる前、まだ食料が十分になかった時代。外務省が音頭をとって、南米への移民を促進した。整備された農地、灌漑、住宅...など、約束されていたものは何もない、アマゾンの奥深くに連れて行かれ、「棄てられた」移民たち、過酷過ぎる生活...時を経て、ブラジル、コロンビアから、ある使命を帯びた移民2世が日本に舞い戻る。ハード・ボイルド・タッチの息もつかせぬサスペンス。設定はユニ-クだが、基本的に勧善懲悪の話なので、安心してドンドン読める。主人公たちがス-パ-マン的行動をするのも、フィクションだから許せる。上下2巻ものだったが、ページをめくる手が止まらず、あっという間に読んでしまった。エピロ-グも、予想のつく終わり方で、驚きはないが読後感はとてもよい。、

この本のテ-マ、「棄民政策」。政府や役人(特にエリ-ト官僚たち)が国民のことを考えず、自己の保身と栄達のためにその権限を振るうのは、今も昔も同じなのだろうか。今回の震災でも、中央政府が何をしているかまったく見えてこない。非常に重大な決定(放射線汚染水の放出など)をしながら、それを民間企業(東京電力)に発表させ、責めを負わせる。東京電力の役員や社員のサラリ-カットを迫っても、自らのサラリ-はノ-タッチだ。
「棄民の数」が役人の成績となり、その非人道的な政策を推進する。「口減らし」、表面の数字上豊かになりすぎた今の日本では考えにくいことだが、50~60年前に国策として実際行われた(らしい)。


「こちらの事情」、森浩美
この本は「家族の言い訳」の続編的な本だということを理解して、2冊いっしょに買った。でも、読む段になって、何を勘違いしたのか、続編的存在である当書を先に読んでしまった。どちらも短編集なので、スト-リ-的には何の問題が、やはり、気になる(読んでしまった後だが)。「家族の言い訳」はちょっと時間を置いて読むことにしよう。

ほとんどの家族が、劇的ではないにしろ何らかの問題を抱えている。それは何かに熱中している間は頭から離れるけど、何かの拍子に、チクチク胸に刺さる傷みのようなもの...この本は、そんな話を集めた短編集だ。決定的な解決策のない、心のすれ違い、お互いの気遣いの重さ、タイミングがはずれて話すことができなくなってしまったことなど、人はそれらをどうにかしたいと思いつつ、一歩が踏み出せないでいる。


「世界をつくった八大聖人」、一条 真也
よく、「何でこんな本を買ったんだろう?」と思うことがある。この作者の言う八大聖人とは、ブッダ、孔子、老子、ソクラテス、モーセ、イエス、ムハンマド、聖徳太子だ。このラインアップを見たときに、買うべきではないという判断をすべきだったのに、「まあ一人くらい変なのが交じっていてもいいか」と甘い判断をしてしまった。別にその人自身が変な人というわけではなく、「世界をつくった聖人」というグル-プに合わないような人という意味である。本の内容は、残念ながら浅く広くで、取り立てて新鮮味もなかったが、「ソクラテス」の章を読んで、高校時代のなつかしい倫理社会のN先生を思い出した。ソクラテスは、会話(問答)を通じて、その哲学的思考を深めた人である(と聞いている)。N先生は、ソクラテスの物まね(?)をして、ソクラテスがしたという問答を一人でやってみせる。そしてその問答の最後は必ず、「私にはもうわかりません」、「よろしい」で終わった。高校生の当時、この問答がよくわからなかった。なぜ「わからない」のが「よろしい」のか。この本では若干それに触れ、「わからない」ということが、究極的に行き着くところなのだということらしい。N先生の薫陶以来、35年目にしてようやく、ソクラテスの顔が少し見えた気がした。
最後に八大聖人の教えの総括として、著者の意見があった。「人生、こうすべきた」ということが述べられている。その中に、「冠婚葬祭には、積極的に参加する」という1条があった。「人の道として、そういうものなのかな」と半分納得しかけたが、最後に著者の紹介を見て、思わず噴出してしまった。「冠婚葬祭会社の代表取締役社長」。人は厚かましいほど押しが強くなければ、仕事で成功しないとい言う教えなのだろうか? 勘弁して欲しい。


「雨にぬれても」、上原 隆
インタビュ-を基に書かれた、いろんな人の生き様の短編ノンフィクション集。シリ-ズ3冊目だ。とても読みやすく、人の人生、しかもあまり幸福そうではない人たちのそれを読むのは、こう言っては叱られるが、興味深い。幸福そうでないというのは、あくまでも世間一般の「暖かく満ち足りた家庭」という目線からであり、実際この短編に登場している人たちが自分で不幸だと思っているわけではない。3冊目になって気になったのが、職業ライタ-としての著者が、いわゆる「ネタ集め」的行動をしていることである。そこには、「ふと街角でであった...」というものではなく、「書くために探してきた」という雰囲気がどうしても臭ってしまう。読んでいておもしろいのだから、それでもいいのだろうけど、できれば「探してきた」においを消して欲しい。読者と言うのは、なんと勝手なものかと思う。

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3月の読書 「歳三からの伝言」など [本]

2011年3月11日は、長く日本人の歴史・記憶に残るだろう。そんな特別な月、TVのニュ-スを見ていなければいけないような強迫観念にも似た感覚に捕えられながらも、私は本のペ-ジをめくった。被災された方々は本を読む余裕などないだろうし、本そのものが手に入らないのではないかと思う。愛読家たちはどうされているのだろう。


「号泣する準備はできていた」、江國 香織
「行かずに死ねるか 世界9万5000km自転車一人旅」、石田ゆうすけ
「感動する!数学」、桜井進
「ゴールドラッシュ」、柳美里
「見知らぬ妻へ」、浅田次郎
「歳三からの伝言」、北原亜以子
「お金の流れが変わった! 新興国が動かす世界経済の新ルール」、大前研一


「号泣する準備はできていた」、江國 香織
またしても、おっさんが読むには抵抗のある本を読んだ。この本をカバ-を着けずに日本の電車の中で読む自信はない。韓国のアパ-トの部屋の中で読んだ。2時間で読んだ。タイトルの作品があの「直木賞」を取ったということに、何となく違和感を感じたが、短編集の本としては、面白かった。いろんな恋愛の形が描かれている。
ただ、理屈っぽい私には、タイトルがどうもしっくりこない。「号泣」を準備をして行うことができるのだろうか。「号泣」には感情の大きな揺さぶりが必要で、もしそれが予測され準備できるようなことなら、号泣にはならないのではないかと思う。一方、最近、漫才などで客が「爆笑」する準備をしているというので、そういうのもありなのかとも思う。広辞苑によれば、それは「大声をあげて泣くこと」とある。それに準備ができるのは、かつての韓国の葬式で活躍した「泣き屋」と言われる人くらいではないだろうか。

「行かずに死ねるか 世界9万5000km自転車一人旅」、石田ゆうすけ
約7年をかけて自転車で世界一周をした青年の旅行記だ。自転車の旅を「旅行記」というのは、ちょっと耳触りが違う様な気もする。前半、どこか軽薄な感じが漂うこの本、後半、だんだんと読む者を引きつけて離さなくなる。この本を読むと、観光地の遺跡や自然・文化を見るのは、旅のほんの一部でしかなく、旅のほとんどが人との出会いであるということがよくわかる。もちろん、その背景には、その土地にしかない独特の風土や生活習慣ががあるのは間違いない。私の最大の一周旅行と言えば(距離ではなく困難という点で)、幼馴染のR君と大学生の時に決行した、3泊4日の小豆島徒歩一周だ。著者の世界一周とは全く比べ物になら ないが、その時、私も何かを見つけた。この本を読んでいると、著者の成長がよくわかる。経験が、出会いが、そして一人旅という途方もない考える時間を与えてくれる生活が、彼を素敵な人にしていったような気がする。巻末の解説は椎名誠で、その最後の部分が私が思っていたこととまったく同じだったので、思わず膝を打った 。

>ぼくはこの「行かずに死ねるか」というタイトルは正直にいってあまり気に入らない

そうなのだ。初めの軽薄な部分はこのタイトルでもいいと思ったが、読み進むにつれ、この本の真価が表れれ、このタイルがあまりにも安易でつまらなく感じられた。もしこの本を読まれる方があったら、読後タイトルを考えてみるのも一興かと思う。

「感動する!数学」、桜井進
時々、数学に関するの本を買ってしまう。本屋でぶらぶらしている時、何故か目に留まるのだ。一見、とてもおもしろそうに見える。そして、途中まで楽しく読み、真中を過ぎたあたりで飽きてくるというパターンが多い。今回もそうだった。自然数、素数、完全数、友愛数、π、ピタゴラスの定理...理解できる興味深い話が続き、数学の世界に引き込まれていく。「博士の愛した数式」を思い出す。例題も頑張れば何とか解ける。しかし、途中で数学の歴史の話しになったり、「オイラ-の定理」が出たり、相対性理論に話しが及び、虚数など抽象的な話になったとたん、読めなくなってしまう。今回、πの話がおもしろかった。πはあらゆるものから独立し、すべてを超越した存在であり、そしてすべてを内包するという。これがどういう意味なのか興味のある人には、この本を読んでもらうしかない、さもなければここに論文を掲載しなければならない...

「ゴールドラッシュ」、柳美里
少年の精神のゆがみと犯罪を描いた話。読んでいて、気持ちが悪くなった。救いも何もない。独善と思いあがりとそして孤独。親の愛が届かない、または、存在しないということは、子どもにとってどれほどの影響をもたらすかということを考えさせられるが、それでも、中学生になっても、「してはいけないこと」が理解できないとうことには、大きな憤りを感じる。
最近、連続殺人を起こした3人のもと「少年」の死刑が確定したということが、ニュースになった。人権擁護(被害者の人権はなぜか無視される)、更生の可能性などが言われるだろうが、私は全面的に最高裁の判断を支持する。殴られれば痛いということは、誰に教えられなくてもわかるはずだ。もし、死刑がいけないとい うなら、過疎地で、無期限の強制労働をさせ、強制力を持った管理下の元、自給生活をさせるという方法もあるかも知れない。
でも、根本は、少年にそのような犯罪を起こさせないような価値観・道徳観を、社会全体が共有しそれで子どもたちを育むことが必要なのだろう。でも、どうやって?

「見知らぬ妻へ」、浅田次郎
この本は読んだことがある...いや、確信はないが、読んだような気がする。なのになぜか私の本棚の未読本コーナーにあった。読み出すと、あきらかに既読感がある、そしてそれはすぐに確信、記憶へと変わった。一回読んでいても、楽しく読み終えた。スト-リーは決してハッピーエンドではないが、いわゆる、「珠玉の短編集」というようなものだろうか。読後感は、すっきりした白ワインを飲んだ時のようだ。そして、人は哀しいなと思う。

「歳三からの伝言」、北原亜以子
この本は、ずいぶん長い間、本棚にあったが、読むのがもったいないような気がしてなかなか手が出なかった。新撰組副長土方歳三の後半生とでもいうお話である。大政奉還がなされ、鳥羽伏見の戦いで敗れたところから、話が始まる。将軍が大阪城から去り、近藤勇がだまし討ち的に散り、沖田総司がひっそりと去っていく中、連戦連敗の幕府軍の中での土方のけじめのつけ方を函館五稜郭まで追っていく。司馬遼太郎の「燃えよ剣」とはまた一味違った展開は、土方歳三をとても魅力的な人間として映し出す。新撰組や土方歳三の生き方が正義だとは思わないが、そこには「誠」があるような気がする。

「お金の流れが変わった! 新興国が動かす世界経済の新ルール」、大前研一
この著名な人の本を読んだことがなかった。基本的にビジネス書や経済関連の本に興味がないからだ。何故この本に手が伸びたかは、覚えていない。帰国の度に行く三宮の大きな本屋で買ったのは覚えている。この本を読んで、著者の本が売れ、その講演がいつも大盛況であるのか、よくわかった。文句なくわかりやすく、説得力がある。世界経済は日米から米中に移ったのは当然として、今や。アメリカ経済の衰退と、中国の競争力の減速から、行き場を失った巨大な資本は、新興国へ向かっている...それが平易な言葉で書かれている。またその中で、日本の生き残る道(大変困難な道)が示されている。3月11日よりも前に書かれた本だから、今、日本の置かれているポジ ションはなお厳しい。
現与党がとんでもない集団だというのは、政権発足後の軌跡を見れば明らかだが、著者はそれを気持ちのいいくらいスパッと一刀両断にしている。

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